愛と独りで在ること
LOVE and ALONENESS (OSHO Meditation Minutes)
無条件の愛、ということがよく言われます。
でも、無条件に愛するためには、ある条件が必要です。 というふうに言うと、無条件の愛のはずが、条件付きの無条件の愛って、そこに矛盾があるようなので、言い方を変えます。
愛というのはそもそも無条件のものだと定義すれば、条件付きの愛というのは愛ではないことになるので、無条件の愛という言葉はそもそも無意味です。
なので、愛するためには資格(ある能力)が必要です、と言い換えた方がいいかもしれません。
その愛するための資格(能力)としてOshoが今回話しているのは、「独りであること」。
独りであることができなければ、どうしても相手を束縛したり、依存してしまうことになります。
そうすると相手に対して無条件に愛することができなくなります。つまり、愛することはできない、ということになります。
愛するためにはもう一つの要素があって、自由であることが不可欠だとOshoが語っていることを聞いたこともあります。
つまり、相手を束縛したり、自由を奪うことがあれば愛は不可能になる、ということです。 従って、愛するためには独りで在ることが必要であり、そこに自由がなければ愛はない、ということになります。
今回のビデオは、「OSHO Meditation Minutes」(Oshoの瞑想の言葉) からお届けします。
愛と瞑想は人生にとって不可欠の要素ですが、今回は、その愛について瞑想するためのOshoの言葉をお届けします。
独りで在る能力は 愛する能力だ
あなたにはパラドックスに
思えるかもしれないが そうではない
それは実存的な真実だ
独りで在ることのできる人たちだけが
愛することができる
分かち合うことができる
相手を所有することなく
相手の もっとも深い内奥に
入っていくことができる
相手に依存することもない
相手を物に貶めることもなく
相手に依存中毒になることもなく
彼らは相手に完全な自由を許す
相手が去ったとしても
今と同様 自分は幸せだと
知っているからだ
彼らの幸せは
相手には奪われない なぜなら
それは相手にもらったもの
ではないからだ
では なぜ彼らは一緒にいたいのかな
それはもはや必要からではなく 贅沢だ
彼らは分かち合うことを楽しむ
喜びでいっぱいなので
それを誰かに 注ぎたい
彼らは自分に人生を
ソロの楽器として演奏する術を
心得ている
ソロの笛の奏者は 自分の笛を
ひとりで楽しむすべを知っている
そしてどこかで
ソロの太鼓の奏者と出会えば
彼らは一緒にいるのを楽しむだろう
笛と太鼓の間にハーモニーを
生み出すのを楽しむだろう」
別の言い方をすれば、自分の内側に愛を見出した人だけが、人をも愛することができる、ということだと思います。 Oshoの愛に満ちた声をお楽しみください。
今日はここまでにします。
えたに