あの世とこの世、というと現実をかけ離れたことのように思われますが、いろいろ文献を読んでいると、あの世の状態というのは、眠っているときの状態に似ているようです。
眠るというのは死の状態に似ているということがよく語られています。
さらに、それを推し進めて考えると、起きているときがこの世の人生で、眠っているときがあの世の人生というふうにも類推して考えられそうです。そして、眠っている間に見る夢というのはあの世の出来事です。
夢というのも研究すると面白くて、夢にはいくつもの機能と現象がありますが、それについて書くと横道に入ってしまうのでそこまでは踏み込みませんが、ある人は眠っているときに幽体離脱して活動している人もいますし、あの世に行っていたりもするようです。
それはともかく、人は眠ることで命の源に還るので、起きたときにはまたリフレッシュして起きているときの活動のエネルギーを得ることができるわけです。
人は生まれて、また死に帰っていくわけですが、眠っているときにも、命の源に還っているという意味で、死と同じです。
ですから、眠るプロセスに目覚めることができれば、死ぬプロセスにも目覚めていることができるのではないか、という仮説に基づいて、眠っていくプロセスや眠っている間にも気づいていることができるように、ということを一時期試していた時期がありました。
それはOshoが、完全に覚醒した仏陀のような人は眠っているときにも気づいていることができるということを話していたので、自分でもそれができるかを試してみたかったからです。
色々面白い経験はありましたが、完全に眠ってしまっているときに目覚めていることはできないようなので、諦めました。なので、やっぱり死ぬときには無意識に落ちちゃうんだろうなと思います。
しかし、Oshoのような人にはそれができるようです。
そのOshoは、肉体を持っているときと肉体を持っていないとき(過去生)の時間の相違について、次のように話しています。
「それはだいたい次のようなものだといえる。
しばらくのあいだ、私は眠って夢を見る。
その夢のなかで、
何年もの時がたったと思っている。と、
そのうちあなたが私を起こして、
私がうとうとしていたことを教えてくれる。
… 夢のなかでは、数年間という長さを
一瞬のうちに見れるのだ。
夢のなかの時間尺度はこの現実とはちがう。
もし、夢からさめてもいつ眠り込んだか
知るてだてがなかったら、
どれぐらい眠ったのか決めるのは困難だろう。
それは時計でしかわからない。
たとえば、眠る前は12時で、
今起きてみるとまだ12時1分にしか
なっていないというぐあいだ。
さもなければ、脇に誰かいなければわからない。
他に知る方法がないのだ。
つまり、こういう方法ではじめて、
700年という時間の経過を確定できたわけだ。」
Dimensions Beyond the Known
そういうわけで、前回お話ししたように、彼は他の人の過去生の時間を図ることで、自分の前回の過去生が700年前のことだということを知ったようです。
それにしても、Oshoはなぜ、次に生まれてくるのに700年もかかったのか?
それについては、またの機会に。
こういうOshoの話を聞いていると、あの世の話も、ますます現実味を帯びてきます。
この世だけの人生という時間軸でこの人生を見るのと、過去生ということも視野に入れてこの人生を見るのとでは、生きることの意義や考え方も変わってくるように思います。
今日はここまでにします。
えたに