内側の探求のためにすべての叡智を捧げた国、チベット。
今回のOshoの講話では、その叡智のエッセンスについて語られています。
究極の経験を表すひとつの言葉。
それについては、Oshoといえども、話すことはできません。
それについて話すものではない
もし話したら あなたは
本物を見逃すだろう
あなたはそれを聴かなければならない
禅では隻手の音声を聞け、という公案があります。
片手だけの音を聞く。
そういえば、20年以上前になりますが、インドから来日していたあるマスターのもとで3日間、ひたすら「無音の音を聞く」という瞑想をしたことがあったのを思いだしました。
最初は一生懸命、外側の音を聞くように、耳で聞こうとするのですが、それでは聞こえるはずがないのです。
Oshoが言うには、私たちには外側を経験するための6つの感覚があるのとちょうど同じように、内側を経験するための6つの感覚があるといいます。
その内なる感覚で聞くことのできる音なのです。
Oshoが、このような秘教的なことを語るときは、微に入り細に入り語ってくれていますので、その話そのものがその瞑想の仕方だったりもします。
Oshoの沈黙の音へのいざないをお聞きください。
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今日はここまでとします。
えたに