私は未来について、それほど考えない
なぜなら,未来は現在から生まれるからだ
現在に対処すれば,
未来に対処したことになる
未来はどこからともなく
やって来るのではない
それはこの瞬間から育つ
次の瞬間は、この瞬間から育ってゆく
この瞬間が美しく、静かで、
至福に満ちているなら
次の瞬間は、もっと静かで
至福に満ちているに違いない
時間というのは不思議なものです。
誰にも平等に与えられているものが時間であり、この人生は一度きり。
この今の時間をどう過ごすかで、自分の人生が決まります。
その時間がどのように流れるかということについては諸説があります。
例えば、現在や未来は過去からの因果によって生じているという考え方があります。
通常はこのように思い込んで生きている場合がほとんどでしょう。
私もOshoを知るまではそうでした。
私たちは、しばしば多くの時間を、過去のことを後悔したり、過去の思い出にひたったり、過去にあったできごとのせいにしたりして生きていたりします。
今の自分の人生を両親の育て方のせいにしたり、過去に受けたトラウマのせいにしたり、過去のせいで今の人生があるように思ったりします。
あるいは、今幸せな人は、過去のおかげで今の自分があり、過去に感謝しているかもしれません。つまり「時間は過去から未来に流れている」という考えかたです。そして過去の因果の結果が現在に現れていると考えるわけです。
もう一つの考え方は「時間は未来から過去に流れている」という考え方があります。初めてこの考え方に出会ったときは「そんなばかな」って思いましたが、最近はこの考え方の方が理にかなっているように思っています。
この考えによれば、例えば川の水が上流から下流に流れるように、時間は未来から現在に向かって流れてきていることになります。その論理的帰結としては、現在は過去とは何の関係もないことになります。
逆に、現在は未来に関係して起きていることになります。例えば川の流れがあって、上流から赤いボールを流したとします。下流にいる人は、その赤いボールを受け取ります。
次に、上流から青いボールを流したとします。すると下流の人は、今度は青いボールを受け取ります。
この考え方によると、下流の人が赤いボールを受け取るか、青いボールを受け取るかには因果関係はないことになります。
なぜなら、上流で青いボールを流すか赤いボールを流すかは自由であって、両者の間には因果関係がないからです。
それは、今起こったできごとが過去に流れ去っていくということを考えれば明らかです。
つまり今起こっているできごとが過去の思い出になるのだから、現在のとき(時間)が過去に流れていく、というふうに考えるわけです。
そう考えるなら、時間の流れる方向は、未来から現在、そして現在から過去に流れていくと考えることができます。
この考え方の利点は、現在起きていることは過去に関わりないのだから、未来に何が起こって欲しいのかということを企画すれば、その未来の企画なりヴィジョンが現在になると考えられることです。
つまり未来に何を想定するかによって、今現在の自分を作っていくことができます。
たとえ不幸な過去があったとしても、過去を嘆くのではなく、未来に希望を持って生きることが可能になります。
それらの2つの考え方、つまり時間が過去から未来に向かって流れるという考え方と、未来から過去に向かって時間が流れるという考え方に対して、
Oshoは、そのどちらでもなく、
第三の考え方を述べています。
次の瞬間は、この瞬間から育ってゆく
Oshoによると「この瞬間」
は時間ではありません。
現在からできているのは生だ
だから生きたいと思う人は
この瞬間を生きる以外に道はない
存在するのは現在だけだ
過去とは、記憶の寄せ集めにほかならない
そして未来とは、あなたの空想、
夢にはかならない
リアリティは「今、ここ」だ
現在は時間とは無関係だ
あなたがこの瞬間にここに在るなら
時間は存在しない
時間は過去と未来にあってマインドの産物であり、「この瞬間」には時間はなく永遠があるというのです。別の言い方として、時間は水平に進むが、この瞬間は垂直だという言い方があります。
過去から未来への時間の流れは水平線上を進むようなものだが
(未来から過去に流れたとしても水平線上に進んでいることは同じです)、
この瞬間は時間がなく垂直の次元だというのです。つまりこの瞬間は、瞬間から瞬間へと動くだけなのです。
話が難しくなってしまいましたが、
この瞬間が美しく、静かで、
至福に満ちているなら
次の瞬間は、もっと静かで
至福に満ちているに違いない
つまり、この瞬間に幸せであることができれば、次の瞬間も幸せであることができます。今は不幸だけど未来は幸せになる、という考え方はしないということになります。
未来に幸せであるためには、今、この瞬間に幸せになればいいだけのことだ、ということになります。リアリティは今のこの瞬間にしかない、からです。
生きるとはいかにこの瞬間を生きるかということ。
ただし、この今の瞬間には未来もこの瞬間に溶け込んで、この瞬間の中にある、ということになります。自分のヴィジョンのすべてもまた、今のこの瞬間のなかにあるわけです。
この瞬間をどのように生きるかで、次の瞬間が決まります。
この瞬間を生きることのなかに、すべての人生があることになります。