Oshoの言葉:
無選択の気づき
愛と瞑想によって死を知れば、
やがて生と死は同じコインの
二つの側面であることがわかるだろう。
そうなれば、不安はなくなる。
そうなれば、選ぶこともない。
そうすれば、あなたは
選択なき気づきの
人生を送ることになる。
そうすれば、すべてが同じになる。
もしあなたが生を選べば、
死を選んだことになる。
もしあなたが死を避ければ
生を避けたことになる。
だから、選ぶことに意味はないし、
避けることにも意味はない。
Osho
私たちが生きているこの世界では、
常に二元性の原理が作用しています。
プラスがあればマイナスがあり、
男がいれば女がいて、
ポジティブがあればネガティブがあり、
右があれば左があり、
光があれば闇があり、
愛があれば憎しみがあり、
陰があれば陽があります。
この両極を超えて観ることができるのが
瞑想であり、気づきです。
それの瞑想が
「丘の上の観照者」となることに
例えられるゆえんです。
この「選択なき気づき」ということを理解するのに、
少なからず時間を要しました。
(少なくとも私にとっては)
というのは、
私たちは常にどちらかを選んでいるからです。
マインドがある限り、
選んでいるのです。
気づきというのは、
その両極を超えて観ることであり、
何の判断もなく、
その両方を観ることができる目を持つことです。
マインドがある限り、
私たちは、判断し、比較し、分析し、評価します。
そのようにすることがこの二元性の世界では
必要とされます。
ところが瞑想の世界では、
無心(ノーマインド)の世界であり、
マインドがない状態です。
そのことを理解するためには、
以下のOshoの言葉が
参考になると思うので、
そのOshoの言葉をここに紹介しておきます。
「あなたの場合、何をするにしても、
その前に思考がある。
悟った人間の場合、
何をするにしても、そこに思考はない。
彼はただそれをする。
そもそも、思考が必要なのは、
自分に見る目がないからだ。
思考は代用品だ。
ちょうど盲人が杖で手探りして
進むようなものだ。」
そもそも思考が必要なのは
自分に見る目がないからだ、
というのがポイントです。
私たちは考えなければならないと
思っていますが、
実は逆で、
ものが見えていないから考えているわけで、
ものが見えている人にとっては、
考える必要がない、
ということになります。
瞑想というのは、
そのように、二元性を超えて
ものごとを明晰に観る目をもたらしてくれます。
「悟っていない心と
悟った心についても、状況は同じだ。
悟った心はただ観るだけだ。
すべては明晰だ。
彼のもとには明晰さがある。
彼の存在全体が光だ。
ただまわりを見回し、進むだけ、
行動するだけだ。
決して考えはしない。
あなたは考える。
目がないからだ。
考えるのは盲人だけだ。
目がないから考えるほかない。
目の代用が必要だ。
思考がその代用となる。」
「ブッダは答える
考えはしない。
質問されれば、
空がただ応答する。
その応答は、
思考されたものではない。
それは全面的な応答だ。
彼の存在がそのようにふるまうのだ。」
Osho
これが悟りを得た人のものの見方、行動のしかたです。
これは、まさに、Oshoに起こっていることです。
Oshoを見ていると、
Oshoがそのようにふるまっていることがわかります。
> 質問されれば、
> 空がただ応答する。
ってすごいですよね。
しかし、Oshoが話すのを見ていると、
まさにそのように、空が話しているようです。
無選択の気づきがあるときには、
思考しなくても、
ただ明晰にものごとが見えているので、
選択する必要がそもそもない、
っていう状態なのですね。
そのような気づきは、
別の言い方をすれば、直感的知性とも言います。
「空から」
なんていわれると、
「もう、それ、自分には無理」
って思いますが、
ハートの直感とか、
直感的知性、
とかなら、
それなら、なんとかなるかも?
って思ったりします。
あるいは、普通に「直感」
と言ってもいいかもしれません。
でも、直感だと、
いつもは思考していて、
たまに直感がある、っていう感じですね。
ここでOshoのいう「無選択の気づき」
というのは、
そもそも思考がない状態です。
365日、24時間、そういう状態でいるって
いう話です。
でも、このことを理解するには、
まずは、そういう「空から」
応答が降りてくるような体験を
積み重ねるしかないです。
ラハシャなんかを見ていると、
こういうことをやっています。
私たちは、直感という形で、
ときどきそのようなことをしています。
その時、思考は使っていません。
空(くう)から直感が降りてくるような体験。
どこからともなく、直感が降りてきて、
ものごとが明晰にわかってしまうような体験。
コインの裏表が両方一度に見えてしまうような。
そういう時があったら、それを大切にしましょう。
それは無選択の気づきの感覚だったりします。
「無選択の気づき」って、
すごい深いお話ですよね?
私は何年も理解できませんでした。
今でもどこまで理解しているかはわかりませんが。
「気づき」とは何かということを理解するヒントに
していただければと思って、書いてみました。
今日はここまでにします。
えたに