生きられなかった生が 死にパワーを与える

生きること、健康、病気、死ぬことに、より多くの気づきをもたらす
ためのプロジェクト、Oshoサマサティプロジェクト。

そこには瞑想に関する多くの記事がありますが、おそらく多すぎて、どこから何を読んだらいいのかわからないのではないかと思います。

そこで、このOshoサマサティにかかれてあることを、このブログでやさしく解説することにしました。それだと、少しずつ、読んでもらえるかもしれません。

このウエブサイトの一番の特徴は、瞑想を日常生活を生きるための技術として、紹介していることです。

瞑想というと、何か日常からかけ離れた特別なことのように思ってしまいがちですが、そうではなくて、日常のストレスを軽減し、悩みや痛み、不安や恐怖などに対しても効果的なメディスン(薬)として処方してくれていることです。

Oshoはメディテーションはあらゆることに役立つ万能薬(メディスン)だって言っていましたが、そのことを具体的に実現しているのがこのサイトです。

これだけのサイトを、マニーシャ はほとんど一人でそのテキストを書いているというのだから、驚異的です。

その彼女の情熱はどこからきているのでしょう?

「1980年代ロンドンでアンナ・フロイトと出会い、彼女の最期の瞬間に居合わせたことが、マニーシャの大きな転機となりました。瞑想は生きる上でのあらゆる側面に役立つという従来の関心に加え、その経験をつうじて、死にゆくプロセスにおいての潜在的可能性を見たのです。これが、彼女の情熱となりました。」

彼女のプロフィールに書かれています。

「彼女はOshoサマサティのアプローチを、瞑想を通して、死に関する誤解や恐れを解消する方法ととらえています。私たちは恐れることなく、より大きな気づきとともに人生の終わりに向き合うこともできるのです。

自然な過程として、変容へのチャレンジと美しさと可能性を備えたものとして、そしてお祝いとして、死を体験することもできるのです。」

死というのは誰にとっても避けることができない問題です。
身近な人の死に直面したり、両親の介護や死にも直面することもあるでしょう。

誰かが死を迎えようとしている
 死期が迫っているときには……
 瞑想に深く入ることができる人たちは、
 周りに座って、その人を助けるべきだ。

 そして、無の中に消えていく、
 その存在と関わりを持つのだ。

 人が無の中に消え失せるときには、
 大いなるエネルギーが放出される。

 その人を取り巻いていた
 エネルギーが解き放たれる。

 もしあなたがその周りで静かにしていれば、
 あなたは素晴らしい旅をするだろう。

 その人はおのずから、
 大きなエネルギーを
 解き放っている。

 もしあなたがそのエネルギーを
 吸収できれば、

 あなたもまた、ある意味で
 彼とともに死ぬのだ。

 そしてあなたは、究極をー源と終点、
 始まりと終わりを見る。」

 (Osho『般若心経』)

 

瞑想とはまさしく

 ひとつのことをいかにトータルにするかを学ぶための方法だ

 ひとたびあなたが学んで

 生のすべてが瞑想となったら

 瞑想のことはすべて忘れてしまいなさい

 生が唯一の法に 唯一の瞑想になるにまかせることだ

 そうなれば 時間は消える 」

 

「生きられなかった生が 

 死にパワーを与える

 トータルに生きられた生は 

 死からすべてのパワーを奪う

 死は存在しないのだ。

 

「もし あなたが身体に同一化していれば 

 そこにはもちろん 

 死が近づいているという絶えざる恐れがあることになる

 生きることはできるが

 恐怖のなかで生きることができるだけだ」

 

「身体には健康なときもあれば 

 病気のときもある

 見守ってごらん ただ見守っていれば

 突如として 

 あなたはまったく違った

 存在の質を感じ取るだろう

 あなたは身体ではない

 身体はもちろん病むが

 あなたは病んではいない」

 

「生を観照できるようになった人は

 死を観照できるようになったのだ

 というのも 死は生の終わりではないからだ

 それは生のまさに絶頂 まさに頂上なのだ

 生は、死の中で頂点を迎える。」

 

「恐れゆえに あなたは見逃す

 さもなければ

 死は存在するもっとも

 大いなるエクスタシー

 もっとも大いなるオーガズムだ」


「ひとたび死の何たるかを知れば

 あなたはそれを大いなる

 祝祭とともに受け取る

 あなたは歓迎するだろう

 死はあなたの一生の努力の成就 

 あなたの一生の努力の結晶なのだ

 旅は終わる 人は家に帰る


それでは今日も、素敵な1日を!