関係性が愛に変わるとき
今回でシュンニョの「Oshoと過ごしたダイヤモンドの日々」の 16章「リレーションシップ」(関係性)──恋人たちの間でのこと──の章が終ります。 その最後にあたって、シュンニョはマスターとの関係性について書いています。 …
今回でシュンニョの「Oshoと過ごしたダイヤモンドの日々」の 16章「リレーションシップ」(関係性)──恋人たちの間でのこと──の章が終ります。 その最後にあたって、シュンニョはマスターとの関係性について書いています。 …
ここに書かれてあるのは、OSHOが肉体を離れる 最後の瞬間をどのように過ごしたかの一部始終です。 彼はごく普通に肉体を離れました。 しかし、最後まで彼の意識は明晰で、その様子は 「まるで、週末どこかに出かける…
人の人生は死ぬまではわからないものです。 今日死ぬかもしれないのです。 地震が起こったり、津波が来たり、事故にあったり、 その可能性はいつでもあります。 脳溢血や心筋梗塞はいつ起こるか知れません。 そのまま死…
OSHOが肉体を離れたのは、もう25年も前のできごとなのに、 昨日のことのように思いだされます。 このマニーシャの手記にあるように、 このころOSHOの肉体はさらに弱っていて、 ブッダホールに現れることも難しく…
今回で「和尚と過ごしたダイヤモンドの日々」のシリーズも 終わりになります。 この本は8月を持って絶版になりますので、シュンニョが 体験したOSHOの全容を知りたい方はぜひ買って読んでくださいね。 神保町の書泉グラン…
OSHOは臨終の際にジャエッシュに 「あなたがたに私の夢を残してゆくよ」 という言葉を残して肉体を去っていきました。 ジャエッシュはOSHOの右腕として、 瞑想リゾートの実務的なものごとの運営 を担当していた人です…
「和尚と過ごしたダイヤモンドの日々」 この本は絶版になっています。 シュンニョが体験したOshoの全容はこの本に書かれています。 このブログで紹介するのはそのごく一部です。 さて、今回はその本の中から、Osh…
OSHOは1931年12月11日、インドのマディア・プラデッシュ州クチワダに生まれました。 幼少のときの名前は ラジニーシ ・チャンドラ ・モハン と名づけられました。1953年3月21日、21歳にして究極の覚醒を得ます…
人格者というと、日本語では道徳的にすぐれた人や人格的にみてすぐれた人のことをいいます。そもそもその人格(パーソナリティ)という言葉のもともとの語源をたどると、ギリシャ劇でかぶる仮面(ペルソナ)のことをいうようです。つまり…
OSHOとともにいて起こる現象というのは、はかり知れないものがあります。 それをOSHOは「光明を得た人という現象」というふうに言っています。 まさに神秘だとしかいいようがありません。 そのOSHOとともにいることは、ま…