あるがままの自分であること

私が、まだOSHOのことをまだあまりよく知らなかったころ、あるワークショップで言われたこと。

「あなたは誰か(somebody)になろうとしている」

そのときは、いったいなにを言われているのかわからず、そして質問したのです。

「じゃぁ、誰にもならないようにするには、どうすればいいのですか?」

すると、そのセラピストに言われたのは、

「あなたは誰でもない人(nobody)になろうとしている」

そこで、ウッとつまってしまい、一瞬どうしていいかわからなくなり、頭が真っ白になったのでした。

「これまで、学校では常に誰か偉い人になることを教えられ、そのために勉強してきたのに、いったいこのセラピストは、なにを言いたいのだ?」とわけがわからなくなったのでした。

でも、私たちは最初の一歩を間違えて教えられているのだなということが、いろいろなセラピーを受けているうちにわかってきたのです。

いつも、自分以外の誰かになろうとしている。

自分以外の誰かになっても、決してそこで満足することができなくて、さらにもっと別の誰かになろうとして、どんどん自分から遠ざかっていく。

そんなくり返しの人生を生きているかぎり、結局満足することなく死んでいくことになる。

そのことに気づかせてくれたのが、次のOSHOの言葉です。

 あなたはあるがままの自分と
 存在が与えてくれたものにけっして満足しない
 それは心が惑わされているからだ

 あなたは自然が意図していない方向に向けられてきた
 自らの内に秘めた可能性には向かっていない

 あなたは他人が望む人間になろうとしている
 だが、それでは満足できない

 満足できないとき論理は言う
 「たぶん、まだ足りないのだ。もっとやってみよう」
 そこで、さらに多くを追い求めてあたりを見まわす

 誰もが笑みを浮ベ
 いかにも幸福そうな仮面をつけて互いに騙し合う

 あなたも仮面をつけて現れるから
 人々はあなたの方が幸福だと思う
 あなたは他人の方が幸福だと思う

 隣の芝生は青く見える
 人々には、あなたの芝生の方が青く見える
 本当に濃く、青く、美しく見える
 それは距離がつくる幻影だ

 近づけば、そうではないことがわかりはじめる
 だが人は互いに距離を置くものだ……

 友達でさえ、恋人たちでさえ、互いに距離を置く
 近づきすぎるのは危険だ──
 本当の姿を見られてしまうかもしれない

 あなたは最初から誤った方向に導かれている
 だから、なにをしても結局惨めなままだ
 大金を持っている人を見ると
 たぶん金が喜びをもたらすだろうと考える

 「あの人を見てごらん、あんなに嬉しそうじゃないか」と──
 そこで金を追い求める

 健康な人がいる──
 すると健康を追い求める

 また、なにか別のことをやっている人がいる
 しかも、とても満足しているようだ──

 その人に従おう
 だが、あなたが従うのは、つねに自分以外の誰かだ

  ゴールド • ナゲッツ OSHO

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