Oshoとヴィヴェーク
マ・ヨガ・スッダによるヴィヴェークのインタビュー 1978年12月17日
私は危うくこのインタビューは、印刷に回すには貴重すぎると感じてしまいそうです。いまだかつて似たものに出会ったことがないこの愛の花を護りたくなります。
ヴィヴェークは私たちに贈り物をくれたのです。私は驚嘆し、感動し、ドキドキしながら、それを楽しみました。灰青色の目をキラキラさせながら彼女が話したとき、私の前に突然開けたのは永遠の愛への展望でした。それは父が死んだときに私が感じた何かです。人をとても謙虚な気持ちにさせるものです。
ヴィヴェークはOshoを呼吸しているので、まさにOshoがここにいるのが感じられるのです。現在彼女はサニヤシンになって7年で、このアシュラムでの彼女の「仕事」はOshoの世話をすることです。つまり料理をし医薬品を調え、メッセージを取り次ぎ、書庫の世話をする、などなどです。彼女はいつでもOshoに直接会える二人の内の一人です。あとの一人は、ヨガ・ラクシュミです。
ここでの師弟関係はとても霊的に親密な関係です。私たちは自分の受け取る能力に応じて与えられるのです。
このインタビューは、Oshoの食事を用意しているキッチンで、午後のいつものお茶の時間に起こりました。マ・ヨガ・アスタは野菜を刻んでいるところで、マ・アナンド・ニルグンは豆の皮剥きをしており、ヴィヴェークと私は床の上に座ってお茶を飲んでいるとき、このインタビューが始まりました。
(ヴィヴェークは後にマ・プレム・ニルヴァノとして知られています)
スッダ: あなたがどんなふうにOshoのもとに来たのか話してもらえる?
ヴェヴェーク:うーん、私がどんなふうに来たか…。そうね、あれは1971年のことだったわ。実際は、1970年に私がヨーロッパのフランクフルトにいたときにすべてが始まったんだけど。ある日、一人のインド人が私たちの部屋に入って来たの。そして私たちの誰も彼のことを知らなかった。彼は誰の友達でもなかったの。彼はただ入ってきたのね。私たちはみんな、彼が誰か他の人の友達なんだと思ったの。そしてみんながそれぞれ自分以外の誰かの友達だと思っていたのね。
彼はただその晩泊まって、翌朝になって全員が朝食に集まったとき、みんなが「それで、彼は誰なの?」(ヴィヴェークはそのジョークに笑いながら)と言い合ったんだけど、誰も彼が誰なのかを知らなかったの。でも彼はとてもいい感じで、その家にとても合っていたのよ。それで私たちはみんなで、彼が滞在してもいいことにしたの。私たちが、どうしてここに来たのかって彼に聞くと、彼は、歩いていてその家を通り過ぎようとしたとき、ただ入ってくる気になったからそれで入ってきたんだ、って言っていたわ。
彼はそこに数ヶ月滞在して、ある日彼は故郷に帰るときだって、言ったの。つまりインドのことね。そして彼がそれを言ったとき、突然私も感じたのよ、何の理由もないのに、そういう感じがしたの。自分も彼といっしょに行くんだって。私がそれを言うと、みんなあぜんとしたわ。だって私は安定した仕事を持っているタイプで、自分のアパートも持っていて……そう、私はとっても真面目だったの。だからその私がインドに行くつもりだなんて聞いて、それも……。
スッダ:知らない人と出ていくんですものね!
ヴィヴェーク:実際は、そのころには彼はもうそんなに知らない人でもなかったの。とてもすてきな人だった。それから私が出かけるときが来たんだけど、それでもみんなは私の言葉を信じていなかったの。私は自分のバッグを全部集めて、それに荷物を詰めて、自分のアパートを売って、仕事もやめたのに、それでもまだ誰も私が出ていくとは信じなかった。そしてその日がやってきて、彼らは私たちを車で空港まで送ってくれたんだけど、でも……私は自分でも理由がわからなかった。ただ彼といっしょに行くんだって感じがあるだけで。
それにまだそこに行って自分が何をするつもりかも知らなかったの。せいぜいヒマラヤに行こう、山にでも行こうかなと思っていた程度で、それ以外には何の考えもなかったの。そしてそれからボンベイに着いたとき……(考え込む)……ボンベイに着いても、まだ私にはわからなかったの。帰りたいような感じもして。それにボンベイで最初に私が見たのが野ネズミだったのよ! こんなに大きな野ネズミが私の足下に座っていたの! 本当に仰天したわ。それが私が生まれてはじめて見た野ネズミよ。
スッダ:初めて見た野ネズミだったの! なんてこと!
ヴィヴェーク:そうなのよ!生まれて初めて!ほんとに。それから私たちはリキシャに乗ってサンタクルズを通ってボンベイに来たんだけど、サンタクルズがすごく臭いのは知ってるでしょ。だからその間ずーっと「私はここで何をしているんだろう?」って思ってたわ。自分でも何をしているのかわからなかった。自分が来た理由がわからなかったの。もちろんラヴィのためじゃないし、それがそのインド人の名前なのね。それにインドに来るつもりなんてぜんぜんなかったし。旅の間ずっとボーッとしてたの。出発を決めてからずーっと、実際、Oshoに会うその瞬間まで。私はボーっとしてたの、完全な放心状態よ、ただ呆然とボンベイを歩き回っていたの。
私はラヴィの家に彼の両親といっしょに滞在していたのね。ある日全員が出かけているときに突然ドアをノックする人がいて、そこにオーストラリア人、西洋人が立っていたの! それで私は「入って、入って!」(ホッとして笑う)と言って、すぐに彼が気に入ったの。その日彼が「アチャリア・ラジニーシのレクチャーに行こう」と言ったの。私は断ったわ、講義なんてものに出たくなかったから。でも彼は「とにかく行こう」って言うのよ。ヒンディ語のレクチャーで、何千人ものインド人がくるんですって。私は「いや、私は行きたくない」と言ったんだけど、結局は行ったのよ。なぜだかわからないけど、ただ行ったのね。
私たちは少し遅れたので、Oshoはもう来ていて、ステージの上で足を組んで肩にショールをかけていた。彼はヒンディ語で話していて、私はその右手の後ろ側だった。何千人というインド人がいたわ! それは野外で、チャーチゲートの近くのクロス・マイダンよ。右手後方からのOshoは小さな点みたいだった。私たちは前へ前へと進んでいったの……。
スッダ:ああ、それからどうしたの?!
ヴィヴェーク:(たえず笑いながら)私は近づいては腰を下ろし、また近づいて、フー! それだけ、ただそれだけよ。
マイケルは、そのオーストラリア人ね、私にブツブツ文句を言ってたわ。彼は見るからに離れたがっていた。もう充分だったのね。私は「ダメ!ダメ、私は帰れない。私はここにいなくちゃ」と言ったの。それで私たちはレクチャーの最後までそこにいたの。そしてそのときの私はおよそ夢うつつの状態よ。だってこんなのまったく知らなかった世界なんだから……こういう……存在というか。私にはわからない──それは完全に知らない世界だったのね。
私は完全にもっていかれたの。何が起こっているのか、その人が誰かもわからなかった。それから私たちは家に帰ったの。次の日の夜、彼は「マウントアブで瞑想キャンプがあるんだ。君は行きたい?」と言ったの。それで私は最初「いやよ! 私は瞑想なんてできない。私なんか放り出されるわ」と言ったの。すると彼が「そういうのじゃないんだ」と言うのよ。「誰でも行けるんだ、誰が行ってもいいんだよ」。それで私たちはそこへ行って、みんなが瞑想しているのを、ダイナミックをしているのを見たの。
スッダ:あなたはダイナミックをしたの?
ヴィヴェーク:私はダイナミックをしている人たちを見て、自分は草むらに隠れたの。二日間草むらに隠れていたの! 私にはその人たちに何が起こっているのかわからなかった。全員深い息や、カタルシスや、フーや、ジャンプや、笑ったり、泣いたり、叫んだり、裸になったりしてたの!それが何なのか、私にはまったくわからなかった。
するとある日、とーっても大きな女の人が私の前に現れて、あなたも知っている人、タルよ。そして彼女は(笑いながら、嘲るように、圧倒するように)「アチャリアはあなたが何もしていないのを見てますよ!」と言ったのよ。
おお!それで私は、うっかり「でも私、あんな呼吸できません。あんな呼吸できない……」と口を滑らせたの。彼女は(非常に高圧的な声で)「アチャリアが3時半にあなたに会いたいそうです」と言ったの。(「アチャリア」というのは「先生」の意味。たくさんの弟子が来はじめる以前、また彼が人々にサニヤスを与えはじめる以前は、Oshoはそう呼ばれていました。そののち彼はバグワンと呼ばれました。「バグワン」とは「神に祝福された者」の意味です)。
(キッチンのみんなが声を合わせて:おお、おお……)
ヴィヴェーク:私は恐ろしいのと同時に一種ワクワクもしていたの。それでOshoが泊まっていたサーキットハウスに行ったわ。すると知らないインド人女性に二、三分待つように言われて。私が扉のところに行って立っていると、ルンギを肩にかけたOshoが足を組んで椅子に腰掛け、一人のインド人に話をしていたわ。そしてそのインド人に話をしている間、扉のところで立っている私を見ているの。私は膝がガクッと曲がって(クスクス笑う)。ただ膝がガクッと曲がるのよ。後ろに立っていたインド人が私を支えてくれて。足が萎えてしまったのかと思ったわ。
そして私は中に入ると、Oshoが「瞑想で何か問題があるのかね?」と言ったの。そして私は彼を見て……それから窓の方の空に目をやったわ。彼の質問には答えなかった。答えられなかったの。答えたかったけど、できなかった。
私はただ空の方を見ていた……二、三分間。私は何が起こったのかわからなかったけど、二、三分意識を失ったんじゃないかと思う。だってその二、三分に起こったことを思い出せないのよ。帰ってきたんだと思う……何だかわからないけど……何かから。彼は私に瞑想の仕方を説明したの。彼は何か他のことも話したのね、それは覚えていないんだけど。まあそういうことだったわけ。
別の日の夕方、私たちがフー(トラタック)をしていたとき、Oshoが壇上にいて、その夜に何かが起こったの。私はまだサニヤシンではなかった。瞑想の後、Oshoが外の車に乗り込もうとしていたとき、彼が私を呼んだの。
というのは私がただ外側にいて、みんなは彼のまわりに集まっていたものだから。彼は私を呼び寄せると、腕を私の肩に回して言ったのよ。「君は私と一緒に住むことになる。ボンベイに来なさい、私と一緒に暮らすことになる」。それが初めてだったわね、彼が何かそういうことを言ったのは。そして彼がそれを言ったとき、彼は腕を私の肩にまわしていて、私は彼の胸に寄りかかっていた。その感じは……その感じは私が忘れていた何かの続きみたいだったわ……ただ戻ってきただけみたいな。
その晩は私は寝られなかった。ただバルコニーに座って、「ええ、もちろん! もちろんよ……」とわかっていたの。それからよね、私がくつろいで瞑想やキャンプに入りはじめたのは。
その翌日だったと思うけど、私たちが自由にしていたとき、ひとりの西洋人が私のところに来たの。午後だった。彼女が言ったの、「わかってるわね(警告するような声で)、アチャリヤはあなたに目を向けているわよ」って(クスクス笑う)。
彼女が私にもっと近くにきて座るように言うので、私は近くへ、彼が座っているところから二、三フィートのところに行って座ったわ。これが私に起こったもうひとつのこと。私はただ泣き出したの、何の理由もなく。ただ泣きに泣き始めたら、もう止まらないのわかるでしょ。
スッダ:ホントにすてき。
ヴィヴェーク:それも自分がなぜ泣いているのかすら知らないのよ。ただそこに座って、泣き続けているの。ただ涙が流れて、私の鼻まで流れ落ちそうで(Oshoがいる前で鼻水が流れるのがどんな感じか、仕草をして見せながら)、だらしなく、よだれを垂らして(キッチン中に笑い声が広がる)。
それと同時にとてもおかしかったのは、私の隣に男性がひとり座っていて、彼は床の上にハンカチを置いていたんだけど、私はそのハンカチがどうしてもほしかったの。私は片方の目でそのハンカチを見ていた。でもそのハンカチを取るために身体を動かすことができなくて、自分の手を動かせなかったのよ。そして自分を見ていたわ。まるで私は遠くにいて自分を見ているみたいな。そしてそのハンカチがほしいのに、それを取れないのよ。そしてただ無性に泣いていたの。
スッダ:それまでにそんな体験をしたことがあった?
ヴィヴェーク:いいえ、一度もよ。まったくはじめてのことだったわ。そのキャンプは、もう爆発に次ぐ爆発に次ぐ爆発。毎日何かが起こっていた。何が起こっているのかは知らなかったけど、私はただすべてを許したの。何もかも本当にすばらしい感じで、私はただすべてが起こるままにしていた。
そしてただ泣きに泣いたあの特別な体験や、自分の思いや自分の身体をただ見るという体験をして、その瞑想の後では私はただそこに座っていたの。そこは全体が小高くて、全体が山みたいな感じで、ひとりの女性が私のところにきて、どうしたのかと尋ねたの……それは……(ここでヴィヴェークは言葉を失う)、それはこれまで私が読んだり感じたりしたどんなこともまるで超えていた。だから私はそんなふうに始まったわけ。それから私はボンベイに戻ってサニヤスを受けたの。
スッダ:そのときは、あなたは以前Oshoと一緒にいたことについては何か思い出していたの?
ヴィヴェーク:いいえ、Oshoといたことは思い出していなかった。サニヤスをとってから二、三日後、彼は自分の部屋で、彼の寝室で英語でレクチャーをしていたの。そこにいたのはほんのわずかの人で、三十人くらいだったと思う。私たちは全員部屋に集まって、突然私は……。そこにはたくさんの人々がいて、全員が話して、話して、話していた。私はただベッドの上に座っていた。何かがカチッとなった!(ヴィヴェークは手で自分の腹の上でスイッチを入れるような仕草をする)。
シューッ、シュッと、私は突然中に入ったの。するとそれは……フーッと(ここで全員笑う、私は自分の腹が急転換したことについてコメントする)。私はそのときひとつの過去生の体験をしていたの。Oshoとのじゃなかったけど。過去生のことなんか私は何も知らなかったのよ。
スッダ:何が起こっているんだろうって不思議だった?
ヴィヴェーク:私は過去生とか転生とかそういうことは何も知らなかったの。私はキリスト教徒ふうに、一回の生涯しかない、一回生きて、それっきりだと思っていたの。だからこれが起こったとき私はこの……1971年の人生に戻ってきたわけ……。
(スッダ:ヴィヴェークが話しているのを聴いているだけで、私は一瞬時間の方向感覚がなくなるのを感じはじめていました。この体験のせいで、彼女は時空間について明らかに別の視野をもっていました。彼女が話しているとき、私はそれを感じることができました。)
ヴィヴェークは続ける:私は自分が狂っているのか幻覚を見ているのかわからなかったの。でも私の心の別の部分は、起こったことが非常にリアルだと知っていたわ。たった今起こったことはとても信頼できることだと。
そして私は完全にスペースアウトしていて、その生涯にも、この生涯にも(彼女は面白がって笑う)、どこにもいなかったの。まるで冥王星にでもいるみたいで。
そのときはレクチャーに行く時間で私は扉の脇に座っていたの。するとそれがまた起こっているのを感じたわ。カチッとなって、フーップ! 私は気を失って、誰かが私を連れ出したんだと思う。覚えているのはまた別の部屋に戻っていたことだけ。
そしてそのレクチャーの終わりで、ラクシュミのデスクのインターフォンでOshoに呼ばれて、私は中に入ったの。Oshoに、どうしたのか、何が起こったのかと聞かれたわ。もちろん彼は知っていて、ただ私にそれを言わせたかったのね。
サニヤスを受けた後でOshoが私に最初に言ったことのひとつは、「私を覚えているかい? 私について何か覚えているかね?」ということだったの。(ここで私たちは全員ヒステリックにケタケタ笑い、「オーゴッド」「耐えられない」と声を漏らした)。
そして彼がそう言ったとき、私はまた「クルッ」となったの。クルッという感じ。クルッとひっくり返るみたいな。文字どおり何もかも裏返しになったの。そして私の口をついて出てきたのは、「あなたは私が大好きだった誰かだと覚えています」ということだけだった。そのとき私は自分が誰か正確には覚えていなかったの。やってきたのはただ彼は私が大好きだった誰かだということだけ。そのとき自分でそれを言うべきだと思ったの!まだかなり真面目だったのね。
それが実際に起こったのは……(隣のアスタに「私たちがプーナに来たのはいつだったっけ? 73年?」)……後でOshoが私に言ったのよ。彼はもう一度私に、思い出せるかと聞いたの。
私ははっきりしなかった。するとその夜、ベッドに横たわっていると、私の死が来たの。私が死んだときのこと。そしてその家、それから私の父、母はいなかったわ。母は大したものよ!彼女は別の人と一緒にパキスタンに行ったの。彼女は彼に恋したのね。私がまだいたときに彼女が行ったのか(自分でもその矛盾に笑いながら)、それとも私が死んでから行ったのか定かでないけど。多分私が死ぬ前に行ったんだと思う。それから私の死の感じがきたの。みんなは家の外のベランダか庭に座っていたわ。でもOshoは部屋の中で、私は彼のすぐそばにいたの。
スッダ:あなたはそれを楽しんだ?その死を。怖かったという記憶はある?それともそれはするりと抜けたのかしら?(このとき私はヴィヴェークが実際は現在の肉体のOshoを指していることを説明しようとしました。当時彼は17歳くらいで、ヴィヴェーク、つまり死んだシャシより2歳年長でした)
ヴィヴェーク:そのときは私は闘っていたわ。Oshoの説明では、私が闘っていたのは彼といっしょにいたくて、彼から離れたくなかったんだって。私は、うーん……。
(深くて長い、30秒ほどの、無限とも言える沈黙がありました。ヴィヴェークはその長い髪の陰に自分の顔を隠しました。彼女は泣いていました。私は見回して助けを求めたのですが、アスタの手は野菜を刻み続けながらかすかに震えており、ニルグンは豆を持ったまま宙を見つめていました。愛が蜜のように床の上に滴っていました)。
……とにかく、私は戻ってきたのよ!(涙を浮かべながら彼女は話しています)死ぬ直前、私は彼に必ず自分を呼び戻すと約束させたの。私がどこにいようと必ず呼び戻すと、私は彼に約束させて(恥ずかしそうに微笑む)……他の女性のところには行かない、絶対に結婚はしないと、彼に約束させたの。これは私は憶えていないんだけど、彼が私に話してくれたわ。
スッダ:(考え深げに)彼は約束を守ったのね。
ヴィヴェーク:(まだ喜びの涙を浮かべながら、今は笑っている)ええ。私が憶えているのは、私たちの家はOshoが毎日瞑想していた寺院のすぐ隣だったということ。私が見ていた彼はそうだったの。彼は寺院に行って、私は自分のいる庭か窓から彼を見ていたの。私はよく彼を見ていた! 彼が言うには、私は寺院の中までついていって(目をいたずらっぽくきらめかせて)彼の邪魔をしたのよ!
スッダ:そして彼の気を引いた!
ヴィヴェーク:気を引いたんじゃない。私は本当にただ邪魔をしただけ。そしてその寺院は崖のすぐ上にあって、その真下に川が流れていたのよ。
スッダ:それはどこだったの?
ヴィヴェーク:ガダワラ。Oshoが生まれたところ。それがOshoが講話の中で、よく泳ぎに行ったと話しているあの川。2、3回私も彼の泳ぎについて行ったことがあるの。でもたいてい彼は一人でいたがったわ。私はその頃はおてんば娘で、Oshoが言うには、当時彼はシャムという名前の友だちに、「これ以上シャシが中に入って邪魔しないように」とその寺院の扉を番させていたの(シャシは当時のヴィヴェークの名前だった)。そして私は彼によくチャパティとダルの食事を持って行ったの。
スッダ:その寺院に?
ヴィヴェーク:ええ。瞑想の後で食べられるように。
スッダ:あなたが彼といっしょに住み始めたのは、結局どんなふうに実現したの?
ヴィヴェーク:そうね、アブ山で彼に言われてから、彼は何度も何度も「君は私といっしょに住むことになる」と言ったわ。そして私はひたすら「いつですか、いつですか、いつですか?」と言い続けていたの(自分の失望を笑いながら)。すると彼はいつも決まって「今ではない」と言ったわ。
そしてある日、彼は「さあ、来なさい」と言ったの。私が「今ですか?」と言うと、彼は「そうだ」と言ったのよ。そんな感じだった。でも最初は私は彼の言葉を信じなかったの。もう2年も待っていたものだから。
スッダ:そんなに長く?
ヴィヴェーク:そうよ。私はそこに住みはじめないうちから、ある意味でずっと彼の世話をしはじめたの。ほら、彼のあらゆる世話をはじめたわけ、73年まで。私たちがプーナに移ったのは74年だから、私が全面的に彼の世話をするために入ったのは73年のはずだわ。おお!
日が経つにつれて、今度は彼が本気なんだってわかって、それから私たちがプーナに移って、それがともかく具体化したのね。
スッダ:では、あなたのすべての仕事とすべての瞑想は、彼の世話をすることだったわけね?あなたの何もかも全部が!
ヴィヴェーク:そう、そうなの。彼の身体の世話をすること。ある意味で彼の身体にはたくさんの世話が必要なのが私にはわかるの。別の意味では、あまり世話をする必要はなくて、ただそれといっしょに浮かぶ必要があるだけね。
私が学んだのは、以前のように自分が病気になるほど彼の身体を心配するより、その方がずっといいということ。以前は彼が病気になると私は本当にひどく落ち込んでいたんだけど、でも今は彼の身体に起こることを受け容れて、同時に自分にできる最善をつくすことを学んだわ。彼の病気のことで私が不幸にならなかったら、それは本当に彼の身体のためになるのよ。
だから今は状況を見て、彼の助けになりそうなあらゆることをただするだけ。彼が病気になって、「わかったわ、今度は何を飲んでもらおうか? この薬、それともあの薬?」というわけにはいかないのよ。彼の手元に何があるかを調べて、それから彼の目を見て、彼の顔を見る必要があるの。それから勘でわかるの。
「そうね、おそらく、これでいいでしょう」って。でも、彼がこれこれを飲んでいて、お医者さんがこれを飲ませてと言ったから、ただそれを飲ませればいい、というわけではないの。つまり自分で感じなくてはならないのよ。以前は、最初の何年かは、彼は……彼はとっても……いろんな意味で助けてはくれなかったの……。
スッダ:彼はあなたが彼の世話をするのを助けてくれなかったの?
ヴィヴェーク:そうなの! 病気のときでも、自分が具合が悪いとは言ってくれなかったのよ。でも今は言ってくれるわ。今は彼も手伝ってくれる。彼は、今はこういうことやああいうことが起こっている、「もしかしたら、君がこの薬をくれれば役立つかもしれない」と言ってくれるの。
以前は、自分が具合が悪いということすら言ってくれなかったわ。そして最悪なのは彼が発作、喘息の発作を起こしたとき。もちろん、起こってしまったら私にもわかったわよ。でも今では彼は、それが来ている感じがする、だから薬を飲んでおくほうがいい、と言ってくれるの。
そうしても発作が起こるのはとめられないんだけれど、その最悪の部分、息が詰まるとか、呼吸が止まるとかというのは避けられるの。だから今はとてもいいのよ。彼は何かが来ている感じがすると言ってくれるから。ところが以前は、それが実際に起こっているときでさえ、一度も言ってくれなかったのよ。私はただそれを感じるしかなかったの。
スッダ:これまでちょっと抵抗を感じたり、荒々しい気持ちになったことなんかないの? そんなふうに絶えず彼のエネルギーの間近にいるというのはどんな感じ?
ヴィヴェーク:最初のうちはあったけど、でも今はないわ。今は全部とてもうまく流れているの。彼のところに住むようになる前は、明らかに、それが彼が待っていた理由なんだけど、私はなんというか……、私は……、私は扱いにくい女の子だったのよ!
そう、本当にそうだった。あれが抵抗だったかどうか知らないけれど、私はものごとを体験していたのね、もちろん、誰だって同じだけど。最初のうちはあったわ、あれは何というのか、ただの普通の大変な時期よ。今は何もかも驚くくらい、深刻じゃなくて、笑いに満ちて、軽いわ。
(長い中断、と不意にヴィヴェークが声を張り上げる……)。一番いいことを話すわね!(私たちは全員笑った。もっといいことなんてありえる?後ろで誰かがウーとあえぐような声をあげる)。
いちばんすばらしいこと。それは今も毎日私が見るたびに、ますますすばらしくなっていくの。それは眠っているOshoを見ること。彼が午後眠りにいくとき、私は彼の後から行くのね。それで私が入るときは、彼はすでに眠っているの。もし運がよかったら、彼の顔が私の方を向いているの、そして……。それこそが私にとっての彼といっしょにいるということなの、眠っている彼といっしょにいることが。
彼はそこにいるようでもあり、いないようでもあるの。彼は生まれたばかりの子供のようで、赤ん坊みたいなのに、それと同時に何千年も何万年も生きてきて、あらゆる状況や体験を通りぬけてきた老賢者のようでもある。すべてを通りぬけてきたのに、それでいてまったく何ひとつ彼には触れていないの。
彼は新生児のようでもあり、また太古からの老賢者のようでもある。それは……なんというか……そこに横たわっている空虚であり、同時に充実でもある。そこにあるのは、彼はそこにいないのに、どういうわけかその身体がそこでただ呼吸している、というような感じ。毛布が上がったり下がったりするのを見て、私は「ああ、彼はまだ呼吸をしている」と思う。それから彼が反対側に寝返りを打つと、私は「ああ、彼はまだ動くことができる」と思うのよ。
スッダ:彼がレクチャーしているのを見ていて私はそれを感じたわ。まるで死人を見ているようなのだけど、でも彼はまだ動いていて、まだそれが起こっているのよ。
ヴィヴェーク:そう。そこに彼はいないと感じるのに、どういうわけか彼の身体はまだそこにあるというその感じ。でもその顔を見ると、彼は同時に活気にあふれているという感じもあるの。彼を見ていると、どうやってこの身体はまだここにいることができているのって私は感じる。どうやって呼吸しているの? どうやってまだ心臓が動いているのって。
それから同時に彼が生命に溢れていることもわかるのよ。そして彼は輝いているの。ただ完全に輝いていて、彼の顔はただ金色のオーラ、オーラ、オーラなの。彼はまさにゴールド、ゴールド、ゴールドのように見える(両腕をだんだん広げて、ゴールドが台所いっぱいに広がっていく仕草をする)。
それが私にとっての彼といっしょにいるということの意味ね。ここにいるということ、彼の横に横たわって、彼を感じられ……見られることの。これが私に起こるのは午後なの。夜はすっかり暗くて、見えないから。そして私が横になるときは、彼は大きなひと塊りの綿毛のようなものね。私はただ護ってあげたい感じだけ。なんとか彼を護りたくて、彼をくるむの(クスクス笑う)。彼はすっかりくるまって寝るのよ。特に冬の間は、頭の先と踵だけ出して毛布にくるまって、顔だけ見せているの。
ときどき私は実際に瞑想するの。瞑想はそんなにしないんだけど、ときどきそれが起きる。私がそこでOshoといっしょに眠ると、私にも肉体を離れるという強い感じが起こるの。どういうわけか私にもこの浮かんで、消えていく感じが簡単に起こって、それからその空間のなかで眠りに入っていくの。
スッダ:あなたが彼の世話をするのを彼が難しくしたりすることは今でもあるの?一度病気なのに彼が私たちに講話をしようとするので、あなたが彼の部屋に錠をかけたという話を聞いたんだけど。
ヴィヴェーク:そうよ!ええ、そう、そう。あれは実際、彼の健康に関わるヴィヴェークの状況が変化しはじめたころのことよ。でなくて、どうして私がそんなこと言える?あれは彼がまだ私に自分が具合が悪いことを言ってくれていない頃で、私にいつ薬がほしいと教えてくれないときだったの。
そう、彼は咳をしていて、一晩中咳をして、ひどい風邪を引いていたの。それでも彼は講話に出ようとするの。あんな状態で話すことができるとは私にはとうてい思えなかった。あれには本当にびっくりしたの! だから言ったの、「いいですか、もしその状態で話に出ていったら、もっとずっと悪くするだけですよ」って。
それでも彼はひたすら行こうとするの!(本当に笑いながら、結局は、彼女は弟子であり、彼は導師なのですから)想像してみて! これは自分が何とかしなきゃならないんだってわかったの。
あれは、それまで彼が具合が悪いときに私に何も言ってくれなかったことが溜まっていて、そのクライマックスの出来事だったのね。そして、だから……そう、私が鍵をかけて彼を閉じ込めたの。
そしてラクシュミに「ラクシュミ、Oshoは出ません」と言ったの。私がOshoを閉じ込めたことを彼女が知っているかどうか、私にはわからなかったけど、でも2、3日後には、皆んながそれを知っていたわ。
皆んなに「あなた、本当に彼を閉じ込めたの?」って聞かれたから。もしかしたら、後で私がラクシュミに、自分が彼を閉じ込めたと言ったのかもしれない。思い出せないわ。私はただいつかは自分が断固たる態度を取らなくちゃいけないと知っていただけ。それがちょうどあの時だったのよ。
あれ以後は、彼は本当に協力してくれるようになったわ。それに実際、あれ以来彼の健康はずっとずっと良くなったの。好転して、本当に快方に向かったの。
今では状況が変わって……(横のアスタに向かって、ちょっとお茶のお湯を沸かしてくれる?)。何を話していたかしら? そうなの、今では彼は、あまり具合が良くないことも、講話をキャンセルするようにとも言ってくれるの。
ダルシャンについてもそうよ。2、3回は私が言ったことがあるけど、でも他はたいてい、彼が自分で「もしかしたら、今日はレクチャーには行かない」と言ってくれるの。これは、すばらしいこと、すてきなことよ。私はましな世話ができるようになったわ。ほんとにずっと良くなったと思う。
スッダ:(このとき、私は驚嘆してヴィヴェークを見た。彼女にはトリップも、問題も、「ワーク」もなかった)。……では、あなたは光明を得るとか、そういうことについては何も心配しないのね?
ヴィヴェーク: 私?(私たちは全員笑って、なにか説明できない楽しさを感じた)。
このインタビューは最初1979年1月に「Sannyas Magazine」に掲載され、最近、Sannyas.orgとここに掲載されています。
スッダがコーディネートしたいくつかのグループのなかに「The Art of Dying」があります。以下はこのグループの説明文からの引用です。
「人生を全面的に生きること。
私たちがしばしば人生を全面的に生きるのに失敗する理由のひとつは、マインドが過去と未来という時間の幻想だからです。私たちは無限の時間があると想像し、そしてそうするなかで生きるのを先延ばししつづけるのです。
先延ばしするというマインドの傾向によって、 私たちは忘我の境にも似た月並みな状態で生きています。恐怖から、私たちは自分が死をまぬがれないという証拠を拒み、 自分の目の前に実際に存在するものに対して自分の目や耳を閉じます。私たちは自分の人生を生きるのではなく、むしろ夢見ているのです。
死ぬというアートは、手放すアートであり、自分に訪れる一瞬一瞬をあたかもそれが最期の瞬間であるかのように、ここで、今、それにどっぷり漬かって生きるアートです。
私たちが飛ぶように過ぎ去るこの人生の質に目覚めるとき、また実際唯一確実なのは死だけであることを理解するとき、この時間という夢は崩壊します。 この真理に目覚めると、人生において何が肝心で何がそうでないかについて、私たちは鋭く、水晶のように明晰になります。
私たちがこの真理を抱きしめられるようになり、死の気づきが自分の助言者となるのを許すと、そこには明日はなく、すべての恐怖が消滅します。
そのとき私たちは、自分の人生とその劇をまったく新しい観点から見られるようになります。このグループでは、瞑想技法、パートナー・エクササイズ、「限界状況」、また自分のなかで生と死が個性の情熱的エネルギーとして出会う点に至るための儀式などが利用されます。存在のこのエネルギーを体験することこそが人生のジュースであり、死ぬことのアートなのです。」
スッダは2008年6月に肉体を離れました。