瞑想のすべてがわかる OSHOサマサティプロジェクト

OSHOサマサティプロジェクトの日本語のサイトが公開になりました。

http://oshoartunity.com/osho_sammasati/

このウエブサイトを作っているのはマニーシャ です。

マニーシャOshoによってOshoのほんの編集長に任命されて、また70年代半ばより彼の瞑想技法を試す「実験台」でもありました。

Oshoがダイナミック瞑想などを作るときには、彼女にもその瞑想の実験台となり、その様子を観察して瞑想技法を編み出して行ったのです。

また、マニーシャ はOshoが毎日聴衆の前で行った講話の質問の朗読者としても、世界的に有名です。

仏陀にアナンダがいつも付き従って仏陀の話を聞いていたように、マニーシャ はOshoの話を聞き、それを本にしていたのですね。

このOSHOサマサティの情報量は膨大です。

一応日本語のサイトは公開しましたが、これはまだごく一部で、翻訳ができあがりしだい、それらのテキストをアップしていきます。

それにしても、すでにアップされているテキストだけでも一度には読みきれないと思うので、少しずつこのブログでも紹介していこうと思います。

この「OSHOサマサティ」のサイトの目的は「世界中の人たちに、人生のあらゆる側面−健康や病気、死に対し、より大きな気づきと喜びをもたらす瞑想のサポートや情報を提供すること」です。

瞑想といえば、坐禅やヨガやビパサナのように特別な訓練や形が必要だと思ってしまいがちです。

でも、その特別な瞑想の時間だけが瞑想なのではありません。

瞑想は人生ならゆる側面に役に立つものです。

そのことについて知っておいてもらいたいと思います。

ヒマラヤで瞑想だけをするのではない。

世間の中に住みながら、瞑想を人生にもたらしなさい、というのがOshoのメッセージです。

世間の中にいて、世間に染まらない生き方。

「ゾルバ・ザ・ブッダ 」という言い方もしてます。

ゾルバというのは「その男ザルバ」という本も出ていますが、享楽主義で人生を楽しむ男。

ブッダというのは、悟りを得て、スピリチャルに目覚めた意識の持ち主、仏陀。

この物質世界に生きながら、スピリチュアリティを生きるということを意味しています。

瞑想とは、単に静かに座って穏やかな静的な安らぎを得るだけではなく、同時に生き生きと活動的に生きることも意味します。

その両方を生きるのが「ゾルバ・ザ・ブッダ 」という生き方です。

その瞑想法を紹介するのが、このマニーシャ のワークショップ「ゾルバとブッダが出会うとき」というワークショップです。

今日の、OSHO動画シリーズ(3)のメッセージはこちらから

 

https://youtu.be/-DMZ74rpkNE

「死は大いなる啓示だ

 もし死がなかったら 宗教もなかっただろう

 宗教が存在しているのは 死のためだ

 ブッダが生まれたのは 死のためだ

 死の認識ゆえに あらゆるブッダは生まれる」

 

「生は 本物の生は けっして死なない

 それなら、誰が死ぬのか? 

 あなたが死ぬ

 その「私」が エゴが死ぬのだ

 エゴは死の一部だが 生はそうではない

 だから もし無我になれれば 

 あなたにとって死は存在しなくなる」

 

「ゆっくり ゆっくりと 死のたくさんの側面を知っていけば

 死は敵ではなく 友として

 大いなる休息とくつろぎとして 認められるようになるだろう

 それは生に対立してはいない

 生が可能なのは ひとえに死があるためなのだ

 死がなければ、生はありえない」

 

「西洋では 人々は死について まったくナンセンスなことをしている

 まず本人に 死が近づいていることを告げようとしない

 それは完全に馬鹿げている

 というのも そうなれば 

 その人はずっと この生の心配をし続けることになるからだ」

 

「いかに生きるべきか 分からない人たちがいる

 そして いかに死ぬべきかを知っている人はほんのわずかしかいない

 それはもっとも偉大なアートだ

 というのも、それは、生の絶頂だからだ」

 

「そこに音楽があるようにしてごらん

 光が 笑いがあるようにしてごらん

 歌を歌い 愛に満ち 

 彼が別の種類の生へと移行していくのを感じる助けをすることだ

 ― 死は扉にすぎないのだ

 古い衣服が脱ぎ捨てられるだけだ」

 

「瞑想者は 自分自身の身体から離れ 外側に立つという

 その同じ場所に 何度も意識的にやって来る

 つまり 死を何度も意識的に体験しているので

 死がやって来ても 

 瞑想者にとってそれは新しい体験ではないのだ

 瞑想者はいつも、笑いながら死んできた」

「死について 41の答え」より  OSHO

それでは今日も、素敵な1日を!