今回のテーマはセックスと瞑想について。
ラテン人と思われる女性からの質問はこうです。
「ラテンの恋人たちにお勧めの 簡単な瞑想の方法はありませんか? 恋人たちが自分たちの道を見つけられるように」
アメリカでのインタビューシリーズのひとつです。
Oshoが「セックスと死」のビデオでも語っていたように、彼が世界中で非難されつづけてきたのは、まさにこれらのタブーについて、包み隠さず話してきたためでもあります。
今回はそのセックスのタブーについて包み隠さず語っています。
質問した女性も、こんなにことこまかにセックスについてOshoが語るとは思ってもいなかったのではないでしょうか。
聞いているときにも、ちょっと戸惑いながら聞いているようでした。
私も、Oshoがここまで詳しく語るのかと驚きました。
どんなセックスの指南書にも、ここまで詳しく、網羅して語っている書物はないでしょう。
セックスについてここまで詳細に、全体的なヴィジョンのもとに語られているのを聞いたのは、Oshoがはじめてです。
そもそも、セックスを瞑想にする方法、というテーマで語られていることは稀です。
仏陀が聞いたら腰を抜かすでしょう。
瞑想にまじめに取り組んでいる、いわゆるスピリチュアルな人たちや宗教関係者の人たちが聞いたら、瞑想とセックスと一緒にするつもりなのか、と怒りだしかねません。
というか、怒っているので、これほどまでにOshoが非難されているのですし。
セックスの指南書としても、男性と女性の身体の違いから、前戯のしかた、オーガズム、そして後戯のしかたまで。
それだけではなく、オーガズムにはピークオーガズムから谷間(ヴァレイ)のオーガズムというのがあること。
そしてその間に、どのように瞑想していくのかということまで、一つひとつ段階をおって解説されています。
それだけではなく、そもそもなぜ今、このように間違ったセックスがなされているのか?
それはセックスに罪の意識を持たせ、セックスが悪いことのように思わせてきた宗教や社会に原因があること。
愛を瞑想の体験とするには、まずその罪の意識を落とす必要があること。
そもそもセックスは自然からの贈り物であり、とても美しいものであり、感謝を感じることからはじめるとよいこと。
そしてそのためには、どのように部屋を準備するとよいのか、ということまで詳細に語っています。
セックスについてのことこまかな描写をここで書くと、このブログがアメブロ運営者によって消去されてしまう恐れがあるので書けません。
直接、Oshoから聞いてください。
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今日はここまでとします。
えたに