マニーシャは、もっとも長くOshoの身近にいた人の一人で、Oshoから直接瞑想の指導を受け、Oshoの講話を聴いているときに「悟り」の体験をしているひとです。
そのマニーシャが来日して、死を超えていくための瞑想のワークショップを開催しました。
『死を超えて生きるために』<死にさいしてうろたえないために>
Oshoバルドでは、
新しい生き方と死に方のヴィジョンを手に入れます。
死は恐ろしいものではなく、死に際しても旅に出るのと同じように、身体を離れる準備をすることができるようになります。
死に際しても、あなたとあなたの愛する人たちが、平安に満ち、喜びにあふれて死ぬことができるようになります。誰もが身近な人の死に直面した経験があるかと思います。
両親、兄弟、友人、親戚、自分の愛する人たち。そしていずれその死に直面するときが自分にもやってきます。
そんなときに、死とは何かについて知っていれば、死にさいしてうろたえることなく、人を助けることができますし、何よりも自分を助けることになります。
そのためにはまず自分が今持っている死に対する先入観や偏見を落とすことが必要です。
私たちの社会では、死は忌むべきものであり、災難であり、悲しむべきものという先入観と偏見にとらわれています。
しかし「死とは何か」を本当に理解できれば、死をお祝いすることもできるし、歓びをもって死を迎えることもできるようになり、人生の見方も変わります。
<生と死についての意識革命>
死を愛することによって、死をも愛することができます。
なぜなら、死は生と対立するものではなく、死をもたらすのは生だからです。
死は生命が種として宿していたものすべての開花なのであり、死は突然やってくるのではなく、自分の中で成長し、花開いているものなのです。
このような生と死のヴィジョンを語るのは、ダライ・ラマから「人類が意識の発達においての困難な段階を克服するのを助けるために、あらゆる可能性に働きかけている、光明を得たマスター」として尊敬され、キリスト以来の危険な人物と目されている、インドの神秘家Oshoです。
Oshoバルドは、そのOshoのヴィジョンによる、生と死についての意識革命です。
バルドとは、「チベットの死者の書」(バルド・トドゥル Bardo Thodol)で有名です
バルドというのは中間の状態を表し、“トドゥル”は耳で聞いて解脱するというような意味で、この経典は、死に臨む人の耳元で死の直前から、死後49日間にわたって、語り聞かされる物語なのです。
日本では「中有」と呼ばれ、四十九日というのはここから来ています。
「バルド・トドゥル」では、人は死ぬと“バルド”という別の状態に入ってゆくのだと説明しています
Oshoバルドでは、生と死は対立するものではなく、生と死をひとつのプロセスとして見ていきます。
生を愛することは死を愛することでもあるのです。
<「Oshoバルド」をリードするマニーシャについて>
マニーシャは1974年にOshoの弟子となり、Oshoの居住していた老子館(ラオツーハウス)での居住をゆるされた数少ないサニヤシン(Oshoの弟子)で、Oshoの講話やダルシャンの記録編集を長年勤めていました。
そして、Oshoが肉体を離れるまでの16年間にわたって常にOshoの身近にいて、瞑想の指導を受けてきました。その間マニーシャ自身悟りの体験もあり、Oshoからもその悟りの体験を認められています。
それらの何度かの悟りの体験を経ながら、瞑想を深めてきている人です。
そのOshoとの瞑想ついては、マニーシャの「和尚との至高の瞬間(とき)」という本に詳しく書かれています。
Oshoが新しく現代人にあった瞑想を考案していくプロセスにあたっても、何人かのサニヤシンたちの体験のレポートなどを参考にしながら開発していましたが、マニーシャもその主要メンバーのひとりでした。
またマニーシャはサニヤシンになる前は看護士と助産婦としての教育を受け、精神医学のについても学んできています。
Oshoがボディを離れたのち20年にわたって意識的な生と意識的な死に焦点を当てたワークショップやリトリートを世界各地でファシリテートしてきています。
ターミナルケアなどにも造詣が深く、死に直面した人々への心理的、スピリチュアルなサポートやケアを実践する中で「彼岸への助産婦」とも呼ばれています。
「Oshoバルド」は、マニーシャ自身のこれまでのOshoとともに過ごした長年の瞑想経験やOshoのアドバイスをもとにさまざまな瞑想テクニックやシンプルなストラクチャーを用いながら、意識的な死を探求していくものです。
<サマサティ・ヴィジョンと「Oshoバルド」>
「Oshoバルド」はマニーシャの主催している「サマサティ・ヴィジョン」の一貫として提供されます。
「サマサティ」とは「正念」とも訳され、私たちの本質が身体でも心でもない、その両方を超えた気づき、意識そのものであることを想い起こす、ということです。これこそが、瞑想の本質なのです。
このワークを受けることで、これまでの死に対する考えに、革新的な違いをもたらし、「死」についての先入観や既成観念を手放していきます。
死は、誕生と同じぐらい自然です。Oshoの言葉を借りれば、「私たちは死をはらんで生まれてくる」のです。
その「死」に気づくことで、私たちの「生」はより豊かに十全なものになっていきます。
死は私たちを「今ここ」へと連れ戻します。死を意識することで、今まで決して試みたことがないほど情熱的に愛し、強烈に生きるようになるのです。
死を目前にして、愛する人たちや、今までの人生に別れを告げなくてはならならなくなった人の多くが、エクスタシーに満ちた意識状態を体験していることが報告されています。
こうした「死」についての理解が人生の中に根づけば、あなたが息を引き取るとき、平安を感じるだけでなく、喜びと、感謝さえ感じながら手放すことも可能になるでしょう。
このようなリラックスしながらも、この瞬間に最大限に気づいている状態、時が止まり、自己感覚が変容し、生きとし生けるものとすべてとつながっているという感覚、エクスタシーといのちに満ち満ちた気づきの状態とは、瞑想で味わうことのできる感覚なのです!
生においても、死においても、瞑想は私たちにとって、とても自然な道なのです。
Oshoバルドは、生とともに死を生きることへとあなたを誘うための瞑想を提供していきます。
マニーシャは、ライフワークの一環として、OSHOサマサティというプロジェクトを運営しています。
興味のある方は、こちらをご覧ください。
https://oshoartunity.com/osho_sammasati/