喜びを分かち与えているときは
誰に対しても牢獄をつくらない
あなたはただ与える
感謝や、ありがたいという気持ちでさえ相手から期待しない
なぜなら、あなたは何も求めずーー
感謝の気持ちさえ求めずに与えているからだ
あなたは、あまりに満ち溢れているから与えている
与えるほかには何もできない
感謝している誰かがいるとしても
自分の愛を受け容れてくれた人ー
自分の贈り物を受け取ってくれた人に
あなたの方が感謝する
その人はあなたの重荷を降ろしてくれた
あなたが降り注ぐのを許してくれた
そして分かち与えれば与えるだけ
与えれば与えるだけ
あなたはさらに多くを手に入れる
だから、与えることによってけちにはならない
「私は失うかもしれない」
というような新たな恐怖も生まれない
それどころか、失えば失うほど
以前は気づかなかった源泉から新鮮な水が注ぎ込む
外側の世界の原理と内側の世界の原理は真逆です。
外側の世界、物質の世界やビジネスの世界、マインドの世界では、与えれば与えるほど少なくなります。
内側の世界、本質の世界や強みや才能の世界、ハートの世界では、与えれば与えるほど豊かになります。
ここでいう、外側の世界、内側の世界というのは、多重意識構造での外側の層と内側の層のことです。
外側の世界は物質的な世界、肉体や行動や、表面的な人格、思考(マインド)などの世界です。
内側の世界とは内面的な世界、思考や感情よりもさらに内側の世界、その人が本来生まれながらに持っている資質や本質、さらに中心があります。
ここでOshoが語っている「喜び」「愛」というのは内側の中心を取り巻く「本質」の層に位置しています。
それは瞑想やハート瞑想のなかで感じられる喜びや愛です。
そのような喜びや愛は外側の世界には依存していません。
内側の世界に属しています。
そのような喜びや愛は、与えても減ることはありません。
それどころか
あなたは、あまりに満ち溢れているから与えている
与えるほかには何もできない
のです。
そして分かち与えれば与えるだけ
与えれば与えるだけ
あなたはさらに多くを手に入れる
ことになります。
なぜなら、
以前は気づかなかった源泉から新鮮な水が注ぎ込む
からです。
その源泉というのは内なる中心、本質からもたらされます。
その源泉に至る道が「ハート瞑想」なのです。