ジョティは早朝、プーナ発のボンベイ行きデカン・クイーン特急の一等席で、ボンベイまでの3時間半の間、Oshoの隣に座って列車の旅をすることになりました。
もう30年も前のことになりますが、私もインドのプーナのOshoのコミューンへの行き来は、ボンベイとプーナ間はこのデカンクィーンに乗っていましたので、その電車の中の様子が目に浮かびます。
一等席といっても、当時のインドの電車は日本のように綺麗な車体ではなく、戦前の電車のような雰囲気で、古いオンボロな感じなのです。
一等車といっても、ソファーは柔らかいものの、ボロボロな感じで、朝の電車はチャイと朝食の薄い食パンのようなものを出してくれるのです。
そして、車内は実に雑多で、一等車といえども、物売りが行き来したりで、日本では想像できないような「大変な騒々しさ」になるのです。
それはともかく、Oshoは窓際の席に座り、ジョティはその隣に座りました。
Oshoはジョティに「しばらく休む必要があるので誰にも邪魔をされないように」と言い、ジョティがうなずいて了解するとOshoは目を開じました.
そこにOshoと話をしたいという男性が現れます。
ジョティはOshoの言葉を守って、その男にはしばらくした後戻ってくるように伝えます。
しかし、ジョティはその後落ち着かなくなってしまいます。
そんなジョティにOshoは瞑想の助言を与えます。
それは瞑想に興味ある人にとっては、とても本質的な瞑想についてのアドバイスです。
それでは、Oshoの瞑想の助言、お楽しみください。
ジョティは語ります。
「 窓の外を見ると、列車はカンダーラを走り抜けようとしていました。山並みに囲まれた広大な草原と、谷間を雲が流れていく実に美しい景色です。
全てが魅惑的で夢のようです。私のマインドがその景色からそれました。すぐそばで立っている男性が私の名前を呼んでいます。
その男性は、私が当惑しているのを見て、ソハンの家で以前会ったことがあると言って自己紹介をしました。
そしてOshoと少し話しをするだけのために、この列車に乗っていると言いました。男性にしばらくしてから出直すように言いました。
Oshoを見ました。Oshoは大理石の彫像のように目を閉じて同じ姿勢で座っています。
車内はかなりの騒々しさなのに、Oshoは外の世界から完全に切り離されているかのようです。
私はこうしてOshoの横で座りながら、はっきりとした理由もないのにそわそわとし始めました。
かき乱れたマインドを見守り、更にリラックスしようと試みました。
ただ気を紛らわせようと新聞を読み始めました。列車はカルジャット駅で停車をし、数人の物売りが車内に乗り込んで来ました。大変な騒々しさです。
それでもOshoは目を閉じて微動だにせずに座っています。
先ほどの男性が再びやって来て、Oshoが目を閉じて座っているのを見ると、自分の席へ戻っていきました。
男性が去ってすぐに、Oshoが目を開いて腕時計を見ました。
私がソーダ水を勧めると、Oshoは無言でうなずきました。
買い求めたソーダ水を渡すと、ほんの少し口をつけて私に返しました。
あの男性について話しました。
Oshoは「その男性がこの列車に乗っていることは知っている。彼が戻ってきたら、私と話をする10分の間、君の席に座らせてあげなさい」と言いました。
それから、「君はどうかな? 旅を楽しんでいるかね?」と私に聞きました。
私は、いかに気分が落着かなくなり、新聞を読み始めたかを話しました。
「少なくとも一日一時間、
静かに座って思考を見守りながら瞑想をしなさい」
とOshoは言いました。
「これといって原因がないのに欲求不満を感じるんです」と言うと、Oshoは
「期待をするから欲求不満に陥るのだ。
期待をするのではなく受け入れなさい。
在りのままの自分も受け入れなさい。
ただ自分の存在にくつろぎなさい。
それが瞑想のすべてなのだから」
と言いました。
私の深刻な面持ちを見ると、Oshoは笑って
「さあ、瞑想について深刻になるのはやめなさい。
すべてを受け入れて楽しむこと、それを学びなさい。
次に私が来るときに報告をしなさい」
と付け加えました。
私はOshoの手を自分の手に取り、溢れ出る感謝のなかでそっと口づけをしました。私たちはちっぽけな問題を山のような問題に作り上げます。
Oshoにはその問題を跡形も残すことなく一掃してしまう技があるのです。」
今日はここまでにします。
えたに