観照者であること

昨日のブログでは、意識は鏡であり、気づいていることについてでした。

今日は実際に、どのように気づいていればいいのかという実践編です。 Oshoがガイドをしてくれています。

ゆっくりと少しずつ
観照者であることに中心を据えてゆきなさい

昼が来て、夜が来る
生が来て、死が来る
成功が来て、失敗が来る

だが観照者に中心が定まっていれば――
なぜなら、それがあなたの
唯一のリアリティだからだ

すべては去りゆく現象にすぎない
しばらくのあいだ 私が語ることを
感じようとしてごらん

ただ観照者でありなさい
素晴らしいからといって
ひとつの瞬間にしがみついてはならない

惨めだからといって
ひとつの瞬間を押しやろうとしてはならない

そんなことはやめなさい
あなたはそれを幾生にもわたって続けてきた

だが、まだ一度も成功していない
そして、これからもけっして
成功することはない
超えるための唯一の途は
超えたままでいることだ

同化することなく この移ろいゆく現象を
すべて見守ることのできる場所を
見いだすことだ

ゴールド•ナゲッツ」 by Osho

意識は意識だ」ということは観照者であることです。

鏡でいることは、観照者であることです。
気づいている、ということは観照者であることです。

それは「すべて見守ることのできる場所を見いだすこと」です。

ただOshoが語っていることを感じるようにしてみてください。
それが瞑想になります。 

今日はここまでにします。

えたに