マインドから来る愛は
つねに愛憎(lovehate)だ
それはふたつの単語ではない
ひとつの単語“lovehate”だ
ハイフンでも区切られていない
一方、
ハートから来る愛は
すべての二元性を超えている
すべての人々が愛と憎しみを超えた
その愛を求めている―一
だが人々はマインドでそれを
探し求めている
だから彼らは惨めだ
すべての恋人たちは、失敗、欺瞞、
裏切りを感じている
だからといって、誰が悪いわけでもない
実は、間違った手段を用いているだけだ
それはまるで音楽を聞くのに目を使い
聞こえないと言って
騒ぎ立てるようなものだ
だが、目は聞くためのものではなく
耳は見るためのものではない
マインドはきわめてビジネスライクで
打算的なメカニズムだ
それは愛とは何の関わりもない
愛は混沌をもたらす
愛は愛のなかにあるものを
すべてかき乱す
ハートはビジネスとは何の関わりもない一一
ハートはつねに休日だ
ハートは愛することができる
しかも愛を憎しみに変えることなく
愛することができる
ハートは憎しみという毒を
持っていない
人はみな愛を探し求めているが、
間違った手段を用いている
だから世界中で失敗する人が
後を絶たない
そして愛が惨めさしか
もたらさないのを見て
人々は次第に閉じてゆく
「愛は、まったく無意味だ」と一一
彼らは愛に対して厚い壁をつくる
だが、生のあらゆる喜びを逃してしまう
価値あるものすべてを逃してしまう
「ゴールド•ナゲッツ」 by Osho
この世ではみんなが愛を求めています。 しかし同時に、愛によって苦しみます。
この世の苦しみを、お釈迦様は四苦八苦にまとめました。
四苦とは、生老病死。 八苦とは四苦に、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の4つの苦しみを加えて、合計8つです。
愛別離苦(あいべつりく)とは、愛する者と別離する苦しみ 。
怨憎会苦(おんぞうえく)とは、怨み憎んでいる者に会う苦しみ 。
求不得苦(ぐふとくく)とは、求める物が得られない苦しみ。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)とは、五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ。
この8つの苦しみのうち、愛憎に関する苦しみが2つも入っています。
愛別離苦と怨憎会苦です。
どんなに愛していても、別れはきますし、最終的には死によって分かたれる運命は逃れられません。 ということは、愛することは必ず別れの苦しみにつながるわけです。
また、憎んでも、そういう人と会うこと、会わなくても憎んでいる人のことを思い出すだけでも苦しい思いをします。
愛しても苦から逃れられず、憎んでも苦しみ。 この愛憎の苦しみから逃れるにはどうすれば良いのでしょうか?
それに対するOshoからのアドバイスは、愛憎を超えた愛を発見しなさい、ということです。
それが「ハートからくる愛」です。
そのハートからくる愛を発見するには、まずハートを発見することです。
私たちは人生のほとんどをマインドだけで生きています。
ハートについては忘れてしまっています。
ハートがなんなのかさえわからないことがよくあります。
マインドではハートを知ることができないからです。
それなのに、マインドでハートのことを知ろうと思っています。
それは不可能なことです。
それは
「音楽を聞くのに目を使い
聞こえないと言って騒ぎ立てるようなものだ。
だが、目は聞くためのものではなく
耳は見るためのものではない」
とOshoも語っています。
ハートはハートでしか知ることができず、そのためにはハート瞑想が助けになります。
それはともかく、私たちが通常知っているのは、マインドの愛です。
愛にはいろいろあります。
そのいろいろある愛を混同しているのが、愛についての誤解と苦しみを増している原因のひとつです。
例えばここでお釈迦さんが「愛」として説明している愛は、パーリ語でtaṇhā(タンハー)=欲望、渇望、強い願望、サンスクリットでtṛṣṇā (トゥリシュナー) =渇愛、となっているので、どちらかといえば官能的な愛、セクシャルな欲望のことを言っているようです。
要するに、この苦しみとなる愛はセックスの欲望のことを言っているだけで、ハートの愛とは全く異なる愛です。
そして私たちが普通男女の愛で語っているのは、通常このセクシャルな愛についての場合がほとんどではないでしょうか?
「セックスしたい」というのを「愛している」というふうに勘違いしていたりします。
ある意味思春期においてはそれらを混同するのはやむ終えないと思いますが、それを愛と勘違いしていることがのちのちの問題を作り出しています。
何がセックスの欲望で、何がマインドの愛で、何がハートの愛なのかがわかるだけでも、ずいぶん物事がシンプルになります。
このセックスの愛とハートの愛、そして祈りとの違いについては、「セックスから超意識」の講話の中でOshoは詳しく解説しています。
この「ハートの愛」に目覚めることができるようになれば、愛別離苦で苦しむことはなくなり、怨憎会苦の苦しみもなくなります。
そして価値ある本当の愛を手にすることができるのです。
今日はここまでにします。
えたに