人生の意味について考える当たってに、輪廻転生に興味を持っていた時期がありました。
輪廻転生や過去生について、ありとあらゆる本を読んでいた時期もあります。
本などで調べる限り、輪廻転生、ないし過去生はあると考えられる可能性が高いように思われます。
この本は、自分の前世を克明に語る子供がいて、実際にその村に行って調べてみると、その人物が実在し、本人でなければ知り得ない様々な事実がわかって、その子供の言っている話が実際の調査で裏付けられたりもしています。
「前世療法」はブライアン・L・ワイス博士によって催眠療法中に偶然「前世記憶」としか考えられない事例が発見されました。戸惑いつつも、実際に退行催眠療法を施していくと、前世の記憶を思い出すことで現在抱えている病気が治ったというケースが多く見られました。
ワイス博士はコロンビア大学とイェール大学医学部を卒業し、 マイアミのシナイ山医療センターの精神科部長をしていました。
医師としての目からはそのようなことは信じられず、博士自身もそれまでスピリチュアルなことや輪廻転生などについては信じていませんでした。
しかし、前世の存在を前提としなければ説明できない様々な事例に遭遇し、実際の自分で体験した事例を目にすると信じざるを得ないように思われました。
しかし、下手にそのようなことを発表すれば医師としての生命も絶たれかねません。
そして、慎重に検証した結果、それらのことを発表しています。
最近は立花隆のような人たちも、このようなスピリチュアルな世界について踏み入れて、検証しようとしています。
自らも癌に侵された体験から、生と死について考えるようになったのでしょう。
生と死について考え始めると、どうしても、死んだ後どうなるのか?
自分はどこから来て、どこにいくのか?
という問題に突き当たります。
これらの本に書かれてあることはごくごく一部の例で、それら以外にもにも関連する書籍や資料を挙げるときりがありません。
Oshoは語ります。
「知恵とは、まったく異なる現象だ。
それは体験であって、信念ではない。
それは実存的な体験で、
何かに「ついての」ものではない。
あなたは神の存在を信じるのではなく─
知るのだ。魂は不滅だと
信じるのではなく─
それを味わったのだ。
輪廻転生を信じるのではなく─
それを思い出す。
あなたは、ここに何度もいたことを
思い出すのだ。
もしこれが過去において
そうだったなら、未来においても
そうなるだろう。
あなたは多くの身体を持っていたことを思い出す。
あなたは岩だった、木だった、
動物、鳥だった。
あなたは男だったし、女だった。
あなたはとてもたくさんの形で生きてきた。
形は変わっても、
内なる意識は同じままだと知る。
だから、表層だけが変わり、
本質は永遠だと知るのだ。
これは見て、知ることであって、
信じることではない。
あらゆる真のマスターたちは、
信じることではなく、
見ることを助けるのに興味がある。
知恵はあなたの内側に湧き上がる。
それは聖典ではない。あなたは、
自分自身の意識を読み始めるのだ。」
「死についての 41の答え」 Osho
輪廻転生については、それをどんなに本で読んで調べたところで、結局は知識でしかありません。
自分の体験ではないし、疑いはどうしても残ります。
そのような知識をどんなに集めてもきりがないし、実際の自分の死に際しては、それほど役には立ちそうにありません。
だって、死に直面したときに、自分の中に死に対する恐怖があったりしたら、知識で学んだことなど簡単に忘れてしまうでしょう。
あとは信ずるかどうかになりますが、でも、信じたところで実際に死ぬときにどれだけ役立つかは怪しいものです。
それよりも知恵をつけるのが先決で、外側の知識に頼るのではなく、自分自身の意識を読んだ方がいいだろう、というのがOshoのアドバイスです。
人の過去生はともかく、そもそも自分の過去生はどうなのか?
私の周りには、Oshoとともに長く瞑想の体験をしていて、過去生のことを語るのは、昨日のことを語るのと同じぐらいに、語るような人たちがたくさんいます。
多分、過去生で魔女をしていたんじゃないかと思えるような人たちで、私は彼女たちのことを密かに「魔女軍団」と呼んで敬愛しています。
サイキックな能力を持っていたり、目に見えないことも、目に見えることと同じような現実感を持って知ることができるような人たちです。
子供の頃から過去生のことがわかったという、ユニティインスティチュートのディレクターのひとりであるリーラはその典型です。
彼女のお父さんが亡くなったあと、父親がリーラに会いにきたそうで、「お前の言っていることは正しかった」と言いに来たんだそうです。
しかも、お父さんに「お母さんはどこにいる?」と聞かれて、「もうすでに生まれ変わって、どこそこにいるので、でも会いにいくと混乱するので、会いに行かないほうがいいわよ」とリーラはその死んだお父さんにアドバイスしたというのです。
そんな話をほかの人から聞いても信じられないですが、まぁ、リーラが言うんだったらそうなんだろうと、信じるでもなく、否定するでもなく聞いています。彼女にとっては知っている事実なんでしょうから。
「過去生とかどうやって思い出すんですか?」と聞いたことがありますが、人それぞれ、またいろんな思い出し方があるけれども、「ふとリラックスした時に、パッと浮かんだり」もするようです。
リーラは昔は過去生のリーディングなどもしていましたが、ただそれだと、その人に準備ができていなかったり、あるいは言われたことにこだわったりすることがあるので、私がリーラに会った頃には、彼女がリーディングをするのではなく、本人が過去生を思い出すことができるように過去生への瞑想をガイドする、という方法に切り変えていました。
というのは、そもそもなぜ過去生を思い出すことが必要なのかというと、自分がなぜ今世生まれてきているのか、どういう課題を持ち越してきているのかを知ることが、今生を有意義に生きるのに役立つからであって、過去生にこだわることが目的ではないからです。
しばしば過去生の話をする人の過去生を聞いてみると、クレオパトラだったり、頼朝だったり、義経だったり、信長だったり、歴史上の有名な人物だったりすることが多いようですが、普通に考えても、そんなに同じ時代に何人もに同じ人物が生まれ変わるはずもないし、どうして有名人ばっかりなのか?
そういう過去生はエゴの産物でしかないでしょう。
自分でも、何度かそういう過去生のセッションを受けることがありました。
おそらくそういうふうな人生を送っていた時期があるんだろうな、ということも体験しましたが、本当かどうかはわかりません。
でもそれは、自分が子供の頃からどういうことに興味を持っていたのか、どういう才能や強みがあるのか、どういう人に会ってきているのか、どういう場所を訪れたりしているのか? ということを振り返ってみると、過去生と関連しているようなことが多くあるように思われます。
「袖触れ合うも他生の縁」という言葉もありますが、今世で人に裏切られたり、ひどいことをされたと思っているかもしれませんが、過去生で自分がそういうことをしたのかもしれないし?
そういうふうに考えられれば、その人を恨んだりするのではなく、逆に、「ごめんなさいね。これでおあいこね!」というふうに思って、次の生に持ち越さないように、精算することだって簡単になります。
つまり日々の自分の出会い、自分に降りかかってくること、直面していること、訪れた場所などは、過去生とも関わりがあったりするかもしれないので、その瞬間瞬間を大切に、意識的に生きていくことが、(もし過去生があるとしたら)過去生からの課題を解決していくことにもなるんだろう、というのが、現在私が感じていることです。
それでは、素敵な1日を!
えたに