ジョティはアメリカに渡ったOshoに会いに行きます。
アメリカでのOshoのことは、シュンニョの「Oshoとのダイヤモンドの日々」やマニーシャの「Oshoとの至高の瞬間」に詳しく語られています。
この時期、Oshoは沈黙のなかにいて、講和することはなく、ドライブバイというOshoがドライブする時間にその道路の脇に並んで、一瞬Oshoに会うことができるだけでした。
ジョティもその一瞬の出会いを楽しみました。
Oshoと個人的に会うことはありませんでしたが、Oshoからは帽子の贈り物が届けられたのです。
Oshoはさまざまな機会に、自分に届けられたものや身の回りのものを、周りの人たちに贈り物として届けることがよくありました。
私は一度Oshoに手紙を書いたことがあります。そのときにメッセージとともにOshoから贈り物が届けられました。
なんと、それはOshoが講話する時に着ていたローブでした。
それは一生の宝物です。
それでは「一万人のブッダたちへの百話」より、「Oshoからの帽子の贈り物」をお楽しみください。
ジョティは語ります。
1年と半年後、新しいコミューンが作られたアメリカのラジニーシプーラムにいるOshoを何とか訪ねることができました。
Oshoはサイレンスに入っていて、午後のドライブの時だけ出てきます。
Oshoには、他のサニヤシンたちと道の片側で列を作って並んだドライブバイで会いました。それはたった一瞬の出来事でしたが、私にとって十分な喜びでした。
Oshoから帽子の贈り物が届けられました。しかしOshoと肉体的に会うことはありませんでした。」
今日はここまでにします。
えたに