私たちは、瞑想は、朝とか夜に、10分とか30分とかすれば、
それで瞑想をしたつもりになってしまいます。
しかしOshoは言います。
それはマインドの仕掛けたトリックにかかっているからだ、と。
<Oshoの言葉>
あらゆる瞬間
瞑想は断片的なものではありえない。
継続的な努力であるべきだ。
あらゆる瞬間、
油断なくいなければならない。
気づいていて、瞑想的でいる。
しかし、マインドは
トリックを仕掛ける。
あなたは朝、瞑想して、
それを脇に置いてしまう。
あるいは、お寺でお祈りをした後、
それを忘れてしまう。
そして、またこの世に戻ってくる。
まるで催眠術のような
眠りの中を歩いているように、
まったく瞑想的でない無意識の状態で。
このような断片的な努力では、
大したことはできない。
意識は連続したつながりだ。
川のように、絶えず流れている。
もし、あなたが一日中瞑想的であれば
あらゆる瞬間において
そして、
あなたが一日中瞑想的である時にのみ
花を咲かせることができるだろう。
Osho
瞑想とはそもそもどういうものであるべきか?
ということがここで語られています。
一日の間に、しばらくの瞑想の時間をとって、そのあと瞑想を忘れてしまうようなやり方では大したことはできない、というわけです。
一日中瞑想的である時にのみ花を咲かせることができるものだ、というのです。
こういう話を聞くと、
自分の瞑想に対する取り組みを
根本的に考えさせられます。
そして、マインドのトリックに気をつけるようになります。
私がハート瞑想が気にいっているのは、この24時間の瞑想をするためには、最も簡単で取り組みやすいと思うからです。
だからと言って、
朝とか寝る前とかに瞑想の時間をとることが無駄というわけではありません。
逆に、とりわけ瞑想に取り組み始めた最初のうちは、そのような瞑想の時間をとって実習することはとても大切なことです。
最初はそのように瞑想することの中で、瞑想の体験や感覚、コツがわかってくるからです。
その瞑想の感覚や気づきの感覚がわかってくれば、あとはそれを思い出す時間を増やしていくことで、
自分が思い出した瞬間に瞑想的でいることが可能になってきます。
マインドのトリックは、こういうOshoの話を聞くと、「毎日10分の瞑想だと無駄なんだ」だと思って、それさえもやめてしまうことです。
本来瞑想とは、そのような気づきの意識の連続体であるはずなのですが、
私たちはついマインドと同一化してしまい、そのマインドのトリックに騙されてしまいます。
その結果、気づきをすっかり忘れてしまうのです。
そのマインドのトリックに騙されないように、気づいていましょう。
今日はここまでとします。
えたに