それでは、Oshoの言葉から。
再び、目覚めるということについて。
なぜなら、このことさえできたら、
あとは何もいらないから。
もし、人生を一つのことだけに賭けるとしたら、
このことだけをするように、
と、Oshoは言っているように思えます。
<Osho の言葉>
自分を目覚めさせよう
意識は永遠であり、死を知らない。
「気づきのない意識」だけが死ぬ。
だから、
もしあなたが無意識のまま、
眠ったままでいれば、
あなたは再び死ななければならない。
もしあなたが、何度も何度も
生まれては死ぬという
不幸から逃れたいのなら、
誕生と死の輪廻から逃れたいのなら
あなたは完全に油断なく
いることが必要だ。
あなたは、よりもっと高い意識へと
到達しなければならない。
本当の収穫は、あなたが自分自身を
目覚めさせるために
大きな努力をしたときにのみ訪れる。
Osho
お釈迦様は、生老病死の4つの苦しみから逃れるために、
王子の暮らしを捨てて、修行をして、悟りました。
そして、その苦しみから逃れるための教えを説いたわけですが、
どうして「生」が苦しみなのでしょう?
お釈迦様は、直接輪廻転生の教えを解かなかったようですが、
当時のインドの世界では、輪廻転生の考えは存在していたようです。
その輪廻転生の考えによると、生まれて死ぬということを
繰り返すことそのことが苦しみと考えられていました。
生まれることがなければ、病気になることもなく、
老いることもなく、死ぬこともないわけで、
すべての苦しみから逃れられるということなのでしょう。
輪廻転生の考えを信じますか?
そもそも、死んだこともないのに、
そういうことを死んでみないとわからない、
って思うかもしれないですね。
Oshoだって死んだことがないのに、
なぜこんなことが言えるんだろう?
って思ったのですが、
どうやらOshoは死のことも、
死後のことも、
輪廻転生のことも、
体験として知っているようなのです。
実際、彼は過去生でのことや、
どうして今回転生してきたのか
ということや、
死が体験できることまで、
詳細に語っているのです。
そのことについて知りたければ、
「死について 41の答え」を読んでみてください。
それはともかく、
目覚めることがどうして必要なのか?
気づきをもたらすことがどうして必要なのか?
そのために、どれだけの気づきを得なければならないのか?
ということについて、
Oshoは語ってくれています。
「気づくこと」って、どこまでも奥が深いですね。
WAKE YOURSELF UP!
Awareness is eternal, it knows no death.
Only unawareness dies.
So if you remain unconscious, asleep, you will have to die again.
If you want to get rid of this whole misery of being born and dying again and again,
if you want to get rid of the wheel of birth and death,
you will have to become absolutely alert.
You will have to reach higher and higher into consciousness.
The real harvest comes only when you make great effort to wake yourself up.
Osho
今日はここまでとします。
えたに