Oshoの言葉
「存在と悟り」シリーズ(7)
そのようにして、
すべてのメソッド発見されてきた。
それらのメソッドは、
ある状況のなかで
それを見出した時、
人々によって発見されてきた。
ある状況下で、
あるアレンジメントをすると、
それが起こる
ということを発見した。
それらがメソッドになった。
やがてあなたは、
自分が望めば、
いつでもそれが可能であることを
非常に確信するようになる。
なぜなら、
あなたはそれに焦点を
向けることができるからだ。
自分の意識全体を
動かすことができる。
あなたは自分の存在を
方向づけることができる。
今では、あなたは
それがいつもそこにあることが
わかるようになる
ただ、それには
あなたのコンタクトが
必要とされるだけだ。
それはまるで、
ラジオやテレビのようだ。
それは常にそこにあり、
音は常に流れている。
あなたはラジオを特定の局に
合わせなければならないーー
すると歌が聞こえ、
ニュースが流れる。
これが第2の段階だ。
しかしまだ、
チューニングするための
努力が必要とされる。
自動的にチューニング
されているわけではない
あなたは自分でしなければならない。
Osho
「存在」というのは、それを獲得するために何かをしなければならないものではありません。
なぜなら、それはすでにそこにあって、私たちはその中に生まれているからです。
Oshoの「道元」の講話のなかに、
「海はどこにあるの?」
と長老の魚に聞いて回る子供の魚の話があります。
それと同じです。
すでに海(存在)の中に生まれているのに、
それがわからずに探し回っているようなものなのです。
問題は、それにチューニングを合わすかどうかだけです。
そのチューニングを合わす方法が瞑想法、というわけです。
瞑想法は、そのようにして生まれたわけです。
今日はここまでです。
えたに