「存在と悟り」シリーズ(6)

Oshoの言葉

「存在と悟り」シリーズ(6)

今やものごとはさらに明確になる。
暗闇の中で待っているだけではない。
あなたは動き出すことができる。
あなたは方向性を持つことができる。

それでもくじけそうになったり、
ときには転んだり、
何ヵ月も消えてしまったり
することもある。

しかし二度と再び疑念が
あなたの中に起こることはない。

疑いは、最初のさとりによって
殺さてしまった。

そうなれば、ますます、
それはやってくる。

そして、遅かれ早かれ、
あなたはそれを

秩序立ててもたらすことが
できるようになる。

あなたが望めば、いつでも
それをもたらす環境を自分の中に
作り出すことができる。

もしそれがくつろぎの中で
やってくるなら、
くつろげばいい。

それが踊りの中でやってくるなら、
踊ればいい。

それが空の下でやって来るなら、
空のあるところに行けばいい。

バラの花を
眺めることで起こるなら、
バラの花を眺めればいい。

それが川で起こるのであれば、
川のところに行って、
浮かんでいればいい

         Osho

> それが川で起こるのであれば、
> 川のところに行って、浮かんでいればいい

これは、Oshoの「存在の詩」を読まれたことがある方なら、

Oshoが好んでやっていた方法だということがわかるでしょう。

その本には、彼が最初の悟りを体験したのはまさに、彼が好んで行っていた、

川で過ごしていた時期だったことが書かれてあります。

これを読むと、
瞑想はどんな方法でもいいんだ、
ということがわかります。

単に坐ってするだけが瞑想ではない、
ということがわかります。

とはいえ、坐禅などを組んで瞑想していた時にそれが起こったなら、

もちろん、坐禅をすればいいわけです。

ダイナミック瞑想をしていた時にそれが起こったなら、それをやればいいでしょう。

クンダリーニ瞑想をしている時にそれが起こったなら、

クンダリーニ瞑想をすればいいわけですね。

自分に合った瞑想を見つけてすればいいわけです。

今日はここまでにします。

えたに