「存在と悟り」シリーズ(5)

Oshoの言葉

「存在と悟り」シリーズ(5)

今や、信仰は必要ない。
今では体験だけで十分だ。
もはや信じることは必要ない。

今や、その確信が
あなたの全存在に浸透し

あなたはそれでいっぱいになる。

今では、あなたは
より意識的に手探りし、

あなたは正しい方向に努力する。

今では、あなたは
それがどのように起こったか、

それがいつ起こったか、
どんな空間でそれが
可能になったかを知っている。

あなたが踊っていた時?ーー
その時、何が起こっていたのか?
いつそれが起きたのか?
どのようにして、
そのコンタクトが可能になったのか?

だんだんと、それが
何度も何度も起こるようになり、

あなたはそれがどのように起こるのか、
どのようなムードで起こるのかを
理解できるようになり、

把握し、計算することが
できるようになる

どのような気分のときに、
それに同調して、それが起こるのか?
Osho

仏陀の辞世の句に、

「自灯明 法灯明」

という言葉があります。

自分を灯火(ともし火)とし、
法を灯火とせよ

という意味ですが、

ここでOshoが語っている言葉は、まさに、自灯明ということの意味を語ってくれています。

今や、信仰は必要ない。
今では体験だけで十分だ。
もはや信じることは必要ない。
今や、その確信が
あなたの全存在に浸透し

あなたはそれでいっぱいになる。
今では、あなたは
より意識的に手探りし、

あなたは正しい方向に努力する。

仏陀は悟りを得て、その悟りの境地から人々に伝えたのですが

(悟りの境地そのものについては、誰に聞かれても沈黙していましたが)

実際のところ、その悟りの境地そのものは誰も伝えることはできないものなのですよね。

Oshoも「悟りは人が与えることができないものだ」と語っています。

もし私が与えることができるものなら、与えているだろう、と。

その悟りを得た人は、その知恵のありかを私たちに伝えることができるだけです。

その知恵のありかとは、「存在」の中にあり、

そこに至るには、自灯明によるしかないわけなのです。

Oshoはそのプロセスをここで語ってくれているわけです。

法とは真理のことで、仏陀の言葉や真理を示す言葉、ここではOshoの言葉です。

自分の体験をOshoの言葉に照らしながらその真偽を確かめ、

あるいは、先が見えなくなった時に、Oshoの言葉(真理の言葉)を灯明にすることで、

暗闇の中も進んでいくことができます。

今日はここまでとします。

えたに