家族に対する責任シリーズ その1

「存在(Being)」に関するシリーズは、

Oshoの言う「存在(Being)」という観念が解った様でやっぱり解らない

ということについての質問に答えたものでした。

もうひとつ質問がありました。

それは、「家族に対する責任って何なのかな?」

ということでした。

そこで、今日から、

「家族に対する責任」シリーズを始めます。

Oshoの言葉

家族に対する責任シリーズ その1

親への責任、妻への責任、
夫への責任、子供への責任……

それについて、おそらくこれまで
あなたは考えたこともない
のかもしれないが、

もしあなたが子供を愛していれば、
責任という問題は生じない。

なぜなら、
あなたは愛しているから、
それらのことをする、

あなたはそれらをすることを楽しむ。

誰も責任を楽しむことはできない。
責任という言葉は
あまりにも大きすぎる、重すぎる。

もしあなたが自分の子供たちを
教育しているなら、

それは責任なのだろうか、
それともあなたの愛なのか?

もしそれが愛であるなら、
重荷になるようなことはない。

あなたは何かを、渋々、
自分の意思に反して、

それをしなければならないからする、
というのではなくなる
      Osho

このOshoの講話は、

“What is the responsibility of love?”

「愛の責任とはなんですか?」

という質問に関してのものです。

そこで、Oshoは、愛と責任の違い、
ということについて語っています。

この質問者の質問の裏には、
何か、愛することが義務になっているような、
そんな雰囲気が感じられます。

私たちが社会生活の中で生きていく上において、
多くの責任があります。

そしてその責任を果たすことは良いことだ、
その責任を果たすべきだという考えがあります。

親への責任、妻への責任、
夫への責任、子供への責任……

しかし、Oshoはここで、
実に意外なことを言い放ちます。

しかし、言われてみれば、まさにその通りなのです。

あなたは考えたこともない
のかもしれないが、

もしあなたが子供を愛していれば、
責任という問題は生じない。

あなたには、愛があるのか?

という問いかけです。

そこに愛があるなら、
それがどんなに大変なように思えても、
それをしている本人にとっては、
それは喜びであり、楽しみであり、
感謝となるもので、
それを重荷とは思わないだろう、

というわけです。

何をするにしても、
そのことを、責任や義務から行っているのか?

それとも愛からのことなのか?

そういうことを自分に問いかけてみるといいかもしれません。

今日はここまでにします。

えたに