「家族に対する責任」シリーズ(2)

Oshoの言葉

「家族に対する責任」シリーズ(2)

日本社会の老齢化、核家族化によって、
両親の介護ということが、
大きな社会問題となっています。

私の周りにも、
両親の介護をしている人たちが多くいます。

私自身も、突然母が脳溢血で倒れることになり、
そのことに直面することになりました。

そのようなときに、
どのようにその介護をしていくか、
ということについての根本的なことが
ここでは語られています。

Oshoの言葉:

しかし、あなたは世間体を気にする

他の人がなんと言うだろう?
自分が非難されるから、
だから年老いた両親の面倒を
見なければならないーー

愛からではなく、責任から

愛は、完全に忘れられている
なぜなら、愛は、
あなたの意識に革命を必要とする

愛は、責任ほど安っぽい物ではない

責任は、神父によって、
教師によって教えられることが可能だが、

誰もあなたに愛を教えることはできない

あなたは愛を自分の中に
見出さなければならない

あなたの存在の中に
あなたの意識をより高いレベルに
引き上げることによって

そして、愛がやってくれば、
責任の問題などなくなる

あなたが愛する人のために、
それらをすることを
楽しんでいるからする

相手に恩を着せることなく、
見返りを求めるのでもなく、
感謝さえいらない

それどころか、
あなたは、その人が、

その人のために何かをすることを
許してくれたことに感謝する

それはあなたの喜び、
純粋な喜びだった

        Osho

「責任が問題となるのは、そこに愛がないからだ。」

「愛があれば責任は問題にはならない」と言うわけですが、

では、その愛はどこにあるのでしょう?

そこでOshoは語っています。

あなたは愛を自分の中に
見出さなければならない

あなたの存在の中に
あなたの意識をより高いレベルに
引き上げることによって

「愛を自分の中に見出す」

ということは、おそらくこれまで教えられたことはないし、そういう発想はあまりないのではないでしょうか?

それ以前に、Oshoは
「誰もあなたに愛を教えることはできない」
というわけなので、

Oshoが語る愛とは、どのようなものなのでしょうか?

愛というのは、
誰かを愛するものであって、
相手がいなければ
愛は存在しえないのではないか?

相手がいないのに、
それを自分の中に見出す、
ってどういうこと?

って思うのではないでしょうか?

Oshoがここで語っている愛は、
これまで世間で語られている愛とは、
全く次元を異にする愛です。

私たちが普通愛を考えるのは、
セックスに基づく愛であったり、
関係性における愛のことです。

しかし、Oshoはそのような愛は、
本来の愛ではない、
というふうに語っています。

Oshoによると、愛とは、
私たちの「存在」の中にあるものであって、

その愛を見出すには、意識をより高いレベルに
引き上げる必要があるというわけです。

では、その意識をより高いレベルに
引き上げるにはどうすればよいのでしょうか?

それについてはまたの機会に。

えたに