前回
「Oshoは、カルマについて、どのように言っているのか知りたいです」
というリクエストがありましたので、Oshoのカルマについての言葉をお届けします。
カルマ(梵: कर्मन् karman)(Karma)は、仏典などでは「業」というふうに訳されています。
サンスクリット語では「行為」、または行為の結果として蓄積される「宿命」と訳されています。
カルマは「過去(世)での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、自分がした行いは、いずれ必ず自分に返ってくる」という因果応報の法則、あるいは「原因と結果の法則」の考えに基づいています。
仏教やヒンズー教においては、そのカルマの束縛から解放され、最終的な解脱や悟りを得ることが究極の目的とされています。
そのような解脱や悟りを得られなかった場合、カルマは再生や輪廻転生の中でその影響を及ぼします。
一生の間に積み重ねたカルマ(良いものや悪いもの)によって、次の生でどのような環境や条件で生まれ変わるかを決定することになると信じられています。
そのようなカルマの法則に基づけば、人は自らの行動や思考の結果に対して全責任を持つとことになります。
つまり、外部の要因や他人の行動に依存せず、自分の選択とその結果を受けることになります。
そのような、カルマの概念を理解していれば、自分の選択や行動が未来に影響を及ぼすと認識して、意識的な選択をし、積極的な生き方を志向することができるようになります。
このようなカルマや業の概念は、ヒンズー教や仏教、ジャイナ教など、インド起源の宗教や哲学において非常に中心的な役割を果たしていて、インド占星術の土台であるヴェーダ哲学の根底に流れる思想ともなっています。
一応このようなカルマについての基礎知識を踏まえた上で、Oshoの言葉を見ていきましょう。
Oshoの言葉
<カルマについて> その1
過去のカルマ、
前世のカルマのせいで
自分が不幸になったと
思っている人がいる
その考え方全体が馬鹿げている
今火の中に手を突っ込めば、
次の生で火傷をする
と言っているようなものだ
人生は即時的だ
それが人生だ、即時的だ
人生は決して先送りしない
あなたが何か美しいことをすれば
その行為そのものが報いとなる
その報いを受けるために
何生も待たなければ
ならないわけではない
あなたが何か醜いことをすれば
その行為そのものが罰となる
その罰はその行為から
切り離されてはいない
Osho
色々カルマについてのOshoの言葉を見てみましたが、ひとことで言えば、Oshoは古来の「過去(世)からのカルマ」という概念を完全に否定しているケースが多いようです。
どうしてなのか?
それについては、これからのOshoの言葉を聞いてみてください。
今日はここまでにします。
えたに