「リーラ」(Leela)はサンスクリット語で
「遊び」または「神の遊び」という意味があります。
リーラは、宇宙や人間の存在、
事象の起こり方などは、神の遊びとして説明されます。
これは、神が特定の目的や理由なく、
純粋な遊び心から宇宙を創造したという考え方によるものです。
このことから、宇宙や生命の本質は、純粋な遊びや喜びの表現であり、
それには特定の目的や意味があるものではないと考えられています。
ヒンズー教の神話には、神々のリーラ、
特にクリシュナのリーラ(Krishna Leela)
として知られるエピソードが数多く含まれています。
これはクリシュナの少年時代の愛らしい遊びや奇跡を描写されています。
リーラの中で人は自らの真の自己や宇宙の真実を
理解することができるとも言われています。
リーラを体験することは、
神の本質や宇宙の真実への親しみや理解を
深めることになります。
このように、リーラは「遊び」
という言葉の単純な意味を超え、
宇宙の創造、存在、そして神との関係に
関する深い哲学的および宗教的概念が含まれています。
Oshoの言葉:
意識の遊び
本当に成熟した人は、
深刻になることはできない
深刻になることなど何もない。
人生全体は楽しみだ、
人生は遊びだ
意識の遊びだ。
そして、それが
瞑想があなたに見せてくれることだ。
人生全体がエネルギーの
美しい戯れであるということを。
同じエネルギーが、木々の中にも、
星の中にも、川の中にも、山の中にも、
あなたの中にも、動物の中にもある。
同じエネルギーが、
さまざまな形で踊っている。
私たち東洋では、
これを「リーラ」と呼ぶ。
リーラとは神の遊びという意味だ。
Osho
このOshoの言葉を読むと、
後白河院が編纂した『梁塵秘抄』
の歌を思い出します。
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば
わが身さへこそ揺るがるれ
私の座右の銘とでも言えるような句です。
Oshoの版画集、「リーラシリーズ」はここから引用したものです。
「深刻は病だ」とOshoは語っていますが、
このOshoの言葉を見ると、
瞑想していれば、深刻にはなれない、ってことでもあります。
逆に言えば、
自分が深刻になってしまっている時は、
瞑想を忘れていまっている時だとも言えます。
意識的でなくなり、気づきを失ったときに
深刻になってしまいます。
そういうことを思い出させてくれる言葉です。
人生全体を生命エネルギーの表現だという観点で
観ることができれば、
この人生で起こることは、
その生命エネルギーの美しい戯れであると
観ることができます。
そのような観点でこの人生を生きることができれば、
人生は戯れ(リーラ)に他ならず、
深刻になることもないのです。
今日はここまでにします。
えたに