仏性とは何か?

Oshoの言葉

仏性とは何か?

仏性とは何か?
内なる空に気づくようになること
それは岩の中に、
動物たちの中に、
木々の中に、
男性の中と女性の中にあったものだ

ひとたびあなたが、
その内なる空に気づくようになると
あなたはすべての形あるものから解放される
それが自由だ

あなたが自由になるのではない
なぜなら、その自由の中では、
あなたは存在しないからだ
あなたは存在することができない

「あなたが自由になる」とは、
ただ、あなたが
自分自身から自由になるということだ
           Osho

このOshoの言葉は、
禅の公案を解いたものです。

禅の公案集、無門関に次のような公案があります。

趙州和尚、因みに僧問う、
「狗子に還って仏性有りや也た無しや」
州云く、「無」

これが公案です。

現代語にすると、次のようになります。

趙州という禅師に、ある僧が聞きました。
「犬にも仏性がありますか」
趙州は答えた、「無」

という意味なのですが、
あなたは、どう思いますか?
犬にも仏性があると思いますか?

でも、そもそも仏性ってなんですか?

って思いますよね。

仏性とは、仏教では、
仏の本性(本質)のことをいいます。

あるいは、
誰もが仏になれる本性を持っている
ということを意味します。

仏の本性(本質)って何だ?
人間の本性とは?

という問いです。

仏教の経典の「涅槃経」に
「一切衆生悉有仏性」、つまり
誰にも例外なく仏性がある
という言葉があります。

そして、
「山川草木悉皆成仏  草木国土悉有仏性」
つまり、森羅万象に仏の性質が宿っている
という大乗仏教の基本的な考え方があります。

なので、
そういう基礎知識を前提にした上で、
その僧は師匠に聞いたわけですね。

それなら、犬にも仏性がありますよね?

って。

そしたら、なんと驚いたことに、
師匠(趙州)は「無」って答えたわけなんです。

趙州は仏教の教えに反することを言ったのか?

その真意は何か?

というのがこの禅公案の問いです。

そこで、禅では、
この公案の意味としては、

この「無」というのは、
有る無しの「無し」ではなく、

「無」そのもの。
絶対的な「無」
つまり「空」だということを意味する
とされています。

禅の言葉でいうと、「真空無相」
自我がない、本来無一物の境地ということになります。

そういうことを、Oshoは、

> 内なる空に気づくようになること
(Becoming aware of the inner sky)
というシンプルな言葉で表してくれています。

> ひとたびあなたが、
> その内なる空に気づくようになると
> あなたはすべての形あるものから解放される
> それが自由だ

そして、その自由とは何か?

> 自分自身から自由になるということだ

とOshoは説いています。

要するに、自我、
自分を閉じ込めているマインドから
自由になることだ、

ということですね。

それが瞑想です。

今日はここまでにします。

えたに