あなた自身の気づきに気づいていなさい

Oshoの言葉

あなた自身の気づきに
気づいていなさい

無知から抜けだし、
この魂の闇夜から
抜け出す唯一の道は、

あなた自身の存在に
気づいていること、

あなた自身の気づきに
気づいていることだ。

あなた自身の気づきに
気づいている瞬間(とき)、

すべてが止まる、時間が止まる。

突然、あなたは
時間を超え、空間を超える

そしてあなたを
全体の一部にする扉が開かれる。
                      Osho

気づきに関して言えば、

気づきに気づいていることが、
気づきの最終形になります。

究極の気づきが、
気づきに気づいていることです。

それ以上の気づきはありません。

気づきに気づくこと。

最初は、そのことの意味がわかりませんでした。

その意味がわかるのに何年もかかりました。

その当時はまだ瞑想をはじめた時で
いろんな物事に気づきていることに
精一杯でした。

そもそも、気づくことができるためにも
準備が必要です。

「自分の内面に分裂を感じている状態では
 気づくことができない」

「内面に抑圧があっては『観ること』はできない」

とOshoは言っています。

だからOshoはダイナミック瞑想や
クンダリーニ瞑想を私たちのために用意していたのです。

現代人は、
とりわけ、いつも頭の中にいる人は、
いろんなことで分裂しているので、
そもそも瞑想ができない状態にあります。

まずはそれらの内面の分裂や抑圧を
なくしていくことが、
瞑想の準備として必要になります。

そして次に、
気づいていくためには、
具体的なことに気づいていくことから
練習していく必要があります。

ヴィパッサナーでは、呼吸に気づきますが、
呼吸が鼻から入る感覚、

お腹が膨らむ感覚、
胸が広がる感覚などに気づくことから始めます。

それにはそうするための理由があるのです。

その観ることのプロセスについて、

シュンニョの「和尚とのダイヤモンドの日々」
のなかで、

Oshoの次のようにアドバイスを書いてくれています。

「『観ること』は、
とてもくつろいだ状態で行われるべきで、

それは集中ではない―――

 呼吸をしたり、食事をしたり、散歩したりといった、
 自分がしているすべてのことに気づきをもつことだと
 Oshoは言います。

まず単純なことから始めなさいと、彼は私たちに言いました―――

肉体を見なさい、
自分は肉体とは別のものだと感じながら・・・・・・

マインドのスクリーンをよぎる想念を見なさい、
あたかも映画を見るかのように・・・・・・

感情がこみあげてきたらそれを見なさい、
そしてそれが自分ではないことを知りなさい。

そして最後の一歩においては、
私たちは完ぺきな静寂のなかにあり、
見るべきものはなにもなくなる、

そのときウィットネスはウィットネスそのものに気づく
といいます。」
https://oejbooks.com/2015/06/02/the-essence-of-meditation-contemplation/

> そして最後の一歩においては、
> 私たちは完ぺきな静寂のなかにあり、
> 見るべきものはなにもなくなる

この気づきの「最後の一歩」。

それが気づきに気づくこと

ウィットネスがウィットネスそのものに気づく

ということになります。

グッドラック!

今日はここまでにします。

えたに