Oshoの言葉
鏡になる
鏡は、ものごとを映し出す
だが映し出すことは活動ではない
それはただの鏡の性質にすぎない
鏡の前に来るものはなんであれ
映し出されることになる
Osho
この鏡の例えは、
気づきの性質を表すために
Oshoがよく使う例えです。
気づきは、鏡のようなものです。
その前に映し出されるものに対して、
何のジャッジもしません。
毎朝、
その鏡の前に映しださえれる顔に対しても、
美しいとも、醜いとも言いません。
シワが増えても、
シミができても、
白髪が増えても、
ただ何も言わずに、
何のジャッジもせずに、
解釈もせずに、
ありのままを
ただ映し出すだけです。
顔だけではありません。
鏡の前に立った姿に対しても、
髪の毛がボサボサだとか、
寝癖がついているとか
服装がおかしいとか、
似合っているとか、いないとか、
ありとあらゆる判断や評価もしません。
その判断をしているのは、
すべてマインドです。
そのマインドまで映し出される
鏡があったら、どうなるんでしょう?
そのマインドを鏡のように映し出すのも
気づきです。
今日の瞑想は、
「鏡になる」
でした。
今日はここまでにします。
えたに