Oshoの言葉
真摯な渇望
だから、一人一人が
自分の内側を見つめ、
神性への真摯な渇望を抱いているか
どうかを見定める必要がある。
誰もが
こう自問しなければならない――
「わたしは真理を
知りたいのだろうか?」
神性への渇きが本物か、
真理を、沈黙を、至福を
求めているかどうかを
はっきりさせなさい。
そうでなければ、
ここで何をしようと
意味はないと理解することだ
Osho
これは、Osho自身が主催していた、
三日間の瞑想キャンプで話したことからの引用です。
当時はOshoがインド国内を回りながら、
数百人、数千人の人々を相手に講話し、
そして、Oshoの話を聞いて、
本当に真理を求める人たちに、
瞑想キャンプを指導していたのです。
この言葉は、
マハバレシュワールの瞑想キャンプ
に参加した人たちに向けて話された言葉です。
最初に、この瞑想キャンプに
参加するにあたっての心構えについて話されています。
欲望、というと、
スピリチュアルな道においては
悪いことのように捉えがちですが、
渇望は、さらに心の深いところからの切望です。
でも、何事も、何かを求めるところから始まります。
問題は、何を求めるか
ということだと思います。
ここでは、真理への渇望です。
そして、欲望では十分ではありません。
渇望が必要だとOshoは話しています。
渇望というのは、thirst,
喉が乾くように、ものごとを求めること。
単なるdesire ではなく、止むに止まれぬ、
心の底から望むことです。
さらに、Oshoは次のようにも話しています。
「前置きとして
二番目に言っておきたいことは、
あなたは何かに対してしばしば
渇きを抱きながら、
欲するものを手にする
見込みはまったくないと
思っていることだ。
あなたは欲求を抱いているが、
それに楽天的ではない。
欲求はあるものの、
絶望感を伴っている。
いま、はじめの一歩が
楽天的に踏み出されるなら、
最後の一歩も
楽天的に終わるだろう。
このことも理解しなさい――
はじめの一歩を
楽観的でなく踏み出したら、
最後の一歩は
打ちひしがれて終わるだろう。
最後の一歩を
満足と成果
のあるものにしたければ、
はじめの一歩を
楽天的に踏み出すことだ」
これは何事においても共通することだと思います。
楽天的であること。
現実での生活においては
バランスも必要なのかもしれませんが、
こと、瞑想においては
Oshoのアドバイスは大切なように思います。
でなければ、なかなか続けられないですよね。
そのような、
真理への渇望と、
楽天的であること
が瞑想をするにあたっては
大切な要素です。
以前にブログでも書いたことがあります。
詳しくはこちら。
https://oejbooks.com/2016/12/24/importance-of-being-optimistic-in-meditation/
今日はここまでにします。
えたに