Oshoの言葉
あなたは愛だ
アナンド・トーシャ、
あなたが自分の中に抱えている
基本的な誤謬とは、
自分がいつも誰かを愛していた
ということだ。
これはすべての人間にとって
最も重要なことのひとつだ;
彼らの愛は常に誰かのためにある、
ということだ
それは誰かに向けられていたーー
そして
あなたが愛を誰かに向けたとたんに、
あなたは愛を破壊してしまう。
それはまるでこう言っているのと同じだ
「私はあなたのためにだけ呼吸しますー
そしてあなたがそこにいないとき、
私はどうやって呼吸すればいいのですか?」
愛は呼吸のようなものであるべきだ。
愛は、あなたの中にある質であるべきだー
あなたがどこにいても、
誰と一緒にいても、
あるいはあなたが一人でいても、
愛はあなたから溢れ出ている。
愛は誰かと恋しているかどうかの
問題ではないー
愛であるかどうかという問題だ。
人々が恋愛体験にフラストレーションを
覚えてるのは、
愛に何か問題があるからではない。
彼らは愛の海がそのままである
ことができないほど
愛を狭めてしまっている
あなたは大海を封じ込めることはできないー
それは小さな流れではない;
愛は、あなたの実存全体だー
愛は、あなたの神性だ
人は、自分が愛しているかどうか
という観点から考えるべきだ。
愛の対象が何か、は問題ではない
妻といるときは妻を愛し;
子供といるときは子供を愛する
使用人といるときは使用人を愛し
友人といる時には友人を愛し
木々ととともにあるときは木々を愛し
海といるともにいるときは海を愛する
あなたは愛だ
愛は対象に依存するものではなく、
あなたの主観の放射なのだーー
あなたの魂の放射なのだ
放射が広大であればあるほど
あなたの魂はより偉大だ
あなたの愛の翼を広げれば広げるほど
あなたの実存の空は大きくなる
Osho
これは、以下の質問に答えた
Oshoの言葉です。
「親愛なるOsho
私はこれまでの人生の中で、
いつも誰かを愛していると思っていました。
今、初めてあなたとともにここで過ごして、
自問自答しています:
私は、本当に恋をしたことがあるのだろうか
そもそも、私は愛することができるのだろうか?
あなたを愛することができるのだろうか?
それとも、もう恋の幸せが訪れないところまで、
人生が私を連れてきてしまったのでしょうか?」
私たちは、
愛とは誰かを愛することだと
思っています。
ところが、突然Oshoは
そのように考えていることが
根本的な問題だというわけなのです。
このことを初めて聞いた人は
驚いてしまうでしょう。
> あなたが自分の中に抱えている基本的な誤謬とは、
> 自分がいつも誰かを愛していたということだ。
これを聞くと、
誰かを愛することが間違っているって、
どういうこと?
って思ってしまうでしょう。
> あなたが愛を誰かに向けたとたんに、
> あなたは愛を破壊してしまう。
ほとんどの人にとって、
これは理解不能な言葉でしょう。
ここに愛に対する根本的な
理解の違いがあります。
マインドがほとんど理解不能に陥った時に、
Oshoは絶妙な比喩を語ります。
> 愛は呼吸のようなものであるべきだ。
> 愛は、あなたの中にある質であるべきだー
>
> あなたがどこにいても、
> 誰と一緒にいても、
> あるいはあなたが一人でいても、
> 愛はあなたから溢れ出ている。
これがOshoの愛に対する根本的な理解です。
しかし、
このことを実存的に理解することは
なかなか難しいことです。
これは、これまのOshoの言葉でも
何度も出てきているテーマです。
アロンネスと孤独との違いというところでも
このことがテーマでした。
そのためにどうすればよいのか?
ということについて、
愛を放射するという瞑想
などもありました。
ここでは次のように話しています。
> あなたは愛だ
>
> 愛は対象に依存するものではなく、
> あなたの主観の放射なのだーー
> あなたの魂の放射なのだ
「主観の放射なのだ」
という言い方は聞きなれない言葉ですが、
これは大きなヒントでもあります。
愛は客観的なものではなく、
相手に依存して、
相手からもらうものでもない。
愛は、自分から放射していると
思えばいいのだ。
なぜなら、あなたは愛なのだから。
と。
愛について、
私たちがすべきことは
> あなたは愛だ
ということを思い出せばいいだけなのです。
それがハート瞑想でしていることであり、
CCT(コンパッション育成トレーニング)で
教えていることです。
そしてまた、
Oshoの存在に波長を合わせることも、
そのことを思い出す機会になります。
今日はここまでにします。
えたに