体調の不調とコンパッション その2

前回の投稿で、

コンパッションについて書いていて、

「そこで、
コンパッションのスキルが、
どのようにこれらのストレスの低減
ないし解消に役立つのでしょうか?」

というところで
話が脱線してしまいました。

前回は、

体の不調が生じるのは、
基本的にはストレスにより
自律神経のバランスが崩れることに
根本的な問題があることについて見ました。

そこで、
コンパッションがそのストレスに対する
解決策となることを説明していこうと思います。

その前に、

そもそもコンパッションとは何なのか? 
ということの定義を最初に見ておきましょう。

これについては、
以前にも書いていますが、

このコンパッションのメカニズムと
定義を理解しておくことが大切なので、
書いておきます。

コンパッションとは「慈悲」と訳されますが、
ここでは仏教などの宗教的な概念に基づくものではありません。

スタンフォード大学の「慈悲と利他主義の研究と
教育のためのセンター」(CCARE)における研究をはじめとする、
脳科学や心理学、神経科学などの科学的な研究によって
明らかにされてきたところによると、

コンパッションは
本来人間が生まれながらにして持っている資質
と考えられるようになっています。

ここでいうコンパッションとは、
他者が苦しんでいる時に、
その苦しみを取り除きたいと思い、
そのために行動すること、と定義されています。

慈悲を表す英語、コンパッションの語源は
ラテン語で、“ともに苦しむ“ という意味があります。

また、ヘブライ語やアラビア語での
語源を辿ると子宮を意味します。

それは母の子供に対する愛と同じもので、
我が子が苦しみや悲しみなどの
避けられない現実に直面したときに、
それを助けたいと思う自然な反応を意味しています。

自分だけのことよりも
自分の愛する人のためなら、
自分の愛する子供のためなら頑張れる、
ということは自然な心情です。

現代の「共感」に対する
科学的な研究もそのことを示しています。

人は、何らかの苦痛や窮状に直面したときに、
共感という感情と、思いやり、寛大さ、
その他の利他的表現を体現する行動によって、
その痛みの軽減を探ろうとする行動をとろうとします。

道に迷っている人がいたら、
道を教えてあげるし、

道で転んで、頭を打って
血を流している人がいたら
思わず駆け寄って、助けようとするでしょう。

日本や世界で大きな災害があれば、
被災した人たちの苦しみを思い
救助のボランティアや募金などで、
なんとか助けてあげたいと願うでしょう。

つまり人間は、
何らかの苦痛や窮状に直面したときには、
慈悲の心(コンパッション)が起きるようになっているのです。

それは、牙も腕力もなく、
それほど速く走れるわけでもない人類が、
これまで生き延びてきたのは、
お互い協調し、協力し、助け合ってきたからだと考えられています。

ダーウインの進化論や、
ドーキンスの「利己的遺伝子」などの説によって、
人間は利己的な動物だというふうに言われてきました。

しかし現代では、
人間の本質は利己的だという考えは
シンプル過ぎるという見解が科学の分野でも
広く認知されるようになっています。

人間は進化の過程で、
利己心や競争心だけではなく、

共感し、お互いを思いやり、
助け合う資質と能力を発達させてきたと
考えられるようになってきています。

人類発祥以前の類人猿から
子供の発達心理学までの研究、
神経科学や脳科学の研究で明らかになってきたのは、
人は共感を動機として行動するということです。

つまりここでわかることは、
コンパッション(慈悲)は、
仏陀やダライ・ラマやマザーテレサのような、
特別な人でなくても、

誰もがそのコンパッションを
持つことができるということです。

このようにコンパッションの資質は、
誰もが本来内側に持っているものなのです。

だから、
その資質にアクセスするスキルを学べば
だれもがコンパッションを持つことができます。

しかも、そのスキルは脳科学や心理学、
神経科学などに基づいているので、
誰もが簡単に学ぶことができるのです。

コンパッションと定義とメカニズムについての
解説が長くなってしまいましたので

今日はここまでにします。

次回は、
そのコンパッションが
どのようにストレスの軽減ないし解消に
役立つかを解説していきます。

えたに