ここに出てくるラクシュミは当時のOshoのインド人の秘書です。
とても小柄な女性でした。
Oshoが1980年にアメリカに渡った頃にはシーラが取り仕切っていたので、それまでラクシュミがOshoの秘書を務めていたことになります。
1987年ごろだったと思いますが、ラクシュミと話す機会があり、Oshoがまだプーナにアシュラムを構える前に、プーナに滞在するときにはいつも寄っていたというソハンのところに連れて行ってもらったことがあります。
そのときは、ソハンはOshoが好きなチャパティを作っている人だというふうに紹介された覚えがあります。
ソハンは料理の名人ということで、そこでも家庭料理のインドカレーをいただいて、家庭料理のインドカレーはホテルなどのレストランなどのインドカレーとはちがって、そんなに辛くもなく、とても美味しかった覚えがあります。
それはともかく、ここでは「ハートで祈りながら助けを求め」たときの奇跡についてです。
それは単なる偶然かもしれません。
でもハートというのは不思議な作用を起こす、ということもあるようです。
そんなことはあり得ない、とマインドで否定することは簡単です。
というか、マインドで考える限りは信じられない話です。
でもハートの世界では、そんなこともあるんだろうなって思えるようなお話しでもあります。
信じるのも、信じないのも、あなたしだいです。
それでは、「一万人のブッダたちへの百話」より「ハートの祈りの奇跡」をお楽しみください。
ジョティは語ります。
「 ボンベイ市内の道路が最も混み合う夕方です。
Oshoのバガヴァッド・ギータの講話が午後6時30分から開始されるクロス・メイダンに行くために、タクシーを待っています。
15分待った後で絶望感でいっぱいになってきました。
数え切れないほどののタクシーが目の前を通り過ぎていくのにどれも客を乗せています。
あの人たちはタクシーに乗ってどこへ行こうとしているのだろう、どうしてこの私を乗せてくれないのだろうと思いを巡らせました。
このままでは時間に間に合いません。苛立ちと無力感でどうしようもない気持です。
最後の手段として、存在に講話に間に合うようにハートで祈りながら助けを求めました。
リラックスして全てをゆだねると奇跡が起こりました。
一台の車が私の近くで止まり、助手席側の扉が開けられました。私は車の中を覗きました。
わが目を疑いました。車の後部座席にOshoが座っていて私に微笑んでいます。
運転席に座るラクシュミが私に助手席に座るように勧めました。
マインドが吹き飛ばされました。
車内には深い静寂があり、溺れてしまいそうに感じました。
感謝のなかで目を閉じると、涙が溢れ出てきました。
2、3分ほどでクロス・メイダンに到着しました。
車から降りて、Oshoの足許に触れようと急ぎました。
ところがすでに、Oshoは大きな人だかりに取り囲まれていました。
皆がOshoの足許に触れようとしています。
Oshoは誰かが足許を触れるたびに、その人の頭の上に手を置こうと上体を前に倒しています。
これではあんまりです。人だかりが大きすぎて、Oshoは身動きひとつできません。
ラクシュミが私の方を見ました。
ふたりでいっせいに人だかりを脇に押しのけ、両手を広げてOshoの両脇に壁のようになって立ちはだかりました。
それでも3分もかからないポーディアムにOshoがたどりつくのに10分もかかりました。
Oshoは聴衆に向かって手を合わせて挨拶し、ブッダの姿勢で座って目を閉じました。
私は最前列の上の上に座りました。
Oshoを見上げました。
Oshoの表情に疲れはひとかけらもありません。
天から地上に降りてきたばかりの天使のようにともてさわやかで光り輝いています。」
今日はここまでにします。
えたに