かゆみと思考と感情と その1

かゆみについてのOshoの言葉を知りたい、
とのリクエストがありました。

調べたところ、以下のような言葉がありました。

Oshoの言葉

かゆみについて その1

不思議に思う感覚とともにいるように。
それは難しい、
ほとんど不可能なことだ。

なぜなら、あなたのマインドは
尋ねるようにと訓練されてきたからだ。

それは痒みのようなものだ。
あなたは
そのままにしておくことはできない。

掻きむしりたくなる。
でも、やってみなさい。
まずは痒いところから始めてみるといい。

いつか自分の足がかゆくなったら、
掻かないで、ただ待つのだ。
そして、そのかゆみとともにいるのだ。
どれぐらいそのかゆみが続くだろう?
やがてそれは治まり、解消し、
跡形もなく、傷跡も残らない。
Osho

ここでOshoがかゆみについて瞑想する方を語っていますが、

これは、怒りに対する瞑想法と同じです。

怒りに関わらず、感情全般に応用できる瞑想法ですが、それは、かゆみに対しても同じ方法が使える、ということをOshoはここで語っています。

ちなみに、これに対する質問は、かゆみについての質問ではありません。

こういう質問です。

「Osho,
自分の思考や感情を観察していると、
不思議に満たされる感覚に襲われます。
それらはどこから来て、
どこへ行くのでしょうか。」

この質問に答えて、Oshoは次のように語ります。

不思議さに満たされる感覚
(sense of wonder)

でいっぱいになることはすばらしい。
だが、油断なく気づいているように、
なぜならすぐにそれを
失いかねないからだ。

もし、その思考がどこから来て、
どこへ行くのかを考え始めたら

不思議さに満たされる感性は
すでに失われている。

考えることが入るのを許さず、
不思議さに満たされた感覚と
ともにあり続けること。

それが、瞑想のすべてだ。
Osho

Oshoはここで、「sense of wonder」(センス・オブ・ワンダー)という言葉を使っています。

レイチェル・カールソンの「センス・オブ・ワンダー」という写真とレイチェルの自然への讃歌が綴られた小さな本があります。

ここでの「センス・オブ・ワンダー」というのは、

「未知なる神秘に目をみはる感性」とでもいうべき意味です。

思考や感情に入り込むのではなく、
その「センス・オブ・ワンダー」
とともにあることが瞑想のすべてだ、

というのは美しいですね。

今日はここまでにします。

えたに