Oshoの言葉
「存在と悟り」シリーズ(1)
悟りには3つの段階がある。
1つ目は、
最初に一瞥が起こったときだ。
私はこれを「ミニさとり」と呼ぶ。
初めて、ほんの一瞬、
マインドが機能していない
ギャップがあるーー
あなたと存在との間に思考がない。
あなたと存在、あなたと存在…。
一瞬の間…
そして出会い、
そして溶け合い、
そして交わり、
そしてオーガズムがあり.
だが、一瞬の間だ。
そしてその瞬間から、
種はあなたのハートの中にあり、
成長していく。
二つ目を
私は悟りと呼ぶ:
それは、あなたがこのギャップを
好きなだけ保持することが
できるようになったときだ
あなたは何時間でも、
何日でも、その間、
この完全な
ひとりであることの中に、
神の中で、神とともに、神として、
とどまることができる。
Osho
さて、
「Oshoの語る『存在(Being)』という観念が解った様でやっぱり解らない」
という質問についての答え。
いよいよ本丸の「存在」へと踏み込んでいきます。
存在とは何か?
それについて答えた人はいません。
なぜか?
なぜなら、そのときには、そこには答える人はいないからです。
そして、それを表す言葉がありません。
往々にして、禅などでは、それを知った人は笑ってしまいます。
笑うしかない、そんなものなんですね。
なので、存在について知るためには、自分がそのことを味わうしかありません。
それが、悟り、ということです。
そこで、悟りについて、Oshoが語っているところを紹介します。
名付けて、
「存在とさとり」シリーズ。
今回はその1 です。
悟り、というとなかなか大変ですが、
「ミニさとり」なら、
なんとなく、覚えがある、という人ならいると思います。
というか、そういう瞬間というのは、よくよく思い返せば、誰にもあるはずなのです。
あまりに悟りというものを、特別のもののように考えてしまうと、
いやそんな悟りなんて滅相もない、って思うかもしれませんが、
初めて、ほんの一瞬、
マインドが機能していない、
ギャップがあるーー
というのは、誰もが体験したことがあるはずです。
突然思考が停止したような体験。
美しいものを、大自然を見て感動した、とか。美味しいものを食べて感動したとか。
これを最近は「Awe(オゥ)体験」というようですが、
この際、そういう体験も、
「ミニさとり」に入れて
思い出してみてください。
あるいは、不意打ちを食らって、びっくりして、一瞬頭の中が真っ白になって、絶句したとか。
禅マスターが、弟子によく、不意打ちのビンタを食らわしたりするのは、よくやる手ですが、
そのとき弟子は、
突然のマスターの一撃で
マインドから出てしまうわけです。
あなたと存在との間に思考がない。
あなたと存在、あなたと存在…。
一瞬の間…
そして出会い、
そして溶け合い、
そして交わり、
そしてオーガズムがあり.
だが、一瞬の間だ。
そんな瞬間を思い出してみてください。
それはどんな瞬間でしたか?
そしてその瞬間から、
種はあなたのハートの中にあり、
成長していく。
ハートは知っている、とOshoは語っていましたが、
ハートは実は、そのさとり(存在)については、
すでに知っているのです。
今日はここまでとします。
えたに