感受性を分かち合う

Oshoの言葉

感受性を分かち合う

感受性は 
多くの方法で分かち合うことができる  

一番の基本は 
愛情に満ちていることだ
 

恋愛関係ではなく 純粋な愛情に  

どんな条件もなく 
なんの見返りもない愛  

あなたはハートを注ぎ込む  
ハートが感受性にあふれているので  
それを人々に注ぎ込む  
たとえ見知らぬ人であっても  
 
今や科学者によっても  
人は樹木と握手できるという  

そしてもし 
あなたが好意を持っていれば  

樹木の中にも 
途方もない感受性を感じる

          Osho

地球交響曲(ガイアシンフォニー)という映画を見ていると、
私たちはどれほど感受性を失ってきているのか
ということがわかります。

そして、瞑想の基本は、
その感受性を取り戻すことなのだ
というふうにも気づかされます。

ここでOshoはその感受性について語っています。

その感受性とは何か、

ということと、

その感受性の高め方についてです。

その第一歩は、
まずその感受性で自分を満たすことだと言います。

その感受性とは、
純粋な愛情だとここでは定義されています。

>一番の基本は 
>愛情に満ちていることだ  
>恋愛関係ではなく 純粋な愛情に  

次にすることは、

その感受性(愛情)はハートにあるので、
そのハートを人々に注ぎ込むことだと言います。

> ハートが感受性にあふれているので  
> それを人々に注ぎ込む  
> たとえ見知らぬ人であっても  

これはまさに、
「コンパッション」(CCT)でやっていることです。

CCTではそのことを
瞑想についても、ハートについても
まだそれほど馴染みのない人にも

一歩一歩、その感受性を感じ、
高めるということを
科学的な根拠に基づいてやっているのだ、
ということを
このOshoの講話を聞くことで
再認識しました。

それはともかく、

ここで突然Oshoはその感受性は
植物にも備わっているものであることを
話しています。

そして

ゴータマ・ブッダが通りかかると、
今まで葉をつけていなかった木が
葉を茂らせて日陰を作ったり

ゴータマブッダが木下に座ると、
その木は何千もの花を咲かせ、
彼に降り注いだ

というような、話をこの講話の中でしています。

これは象徴的な話のように見えるが、
本当に起こったことのかもしれない、

とも語っていますが、

ガイアシンフォニーで龍村仁さんの
トマトの撮影の裏話を聞いていると
そういうことが実際にあったのかもしれないと思います。

地球交響曲シリーズで紹介した
動画を見た方は覚えていると思いますが、

あの水耕栽培されていた一万五千個ものトマトは、
仁さんが海外出張から戻って、
撮影するのを待って、

翌日一斉に木から落ちたという
話が語られていました。

それほど植物には感受性があるのです。

植物には心があり、
その心は人間とも通じ合っているのです。

そのような感受性は、
もちろん人間にも本来生まれながら備わっているのです。

そのような感受性を人間は持っていたのに、
その感受性を私たちは見失っているのではないか?

ということが
このガイアシンフォニーで
問われていることのテーマの一つです。

その感受性を取り戻すことが
瞑想でしていることであり、

さらにその感受性をどのように高めていけばよいか
ということをOshoはここで語ってくれています。

そのOshoの講話の話を聞きたい方は
このブログで紹介しています。
https://oejbooks.com/2016/10/01/sensitivity-can-be-shared/

 

今日はここまでにします。

えたに