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もしあなたが光明を得たら?
アメリカのオレゴン州の準砂漠地帯のど真ん中にコミューンを建設していた当時、Oshoは沈黙の中にいて、公の活動は一切していませんでした。 そのコミューンには5000人ほどが建設に携わっていました。マニーシャもその一員と…
悲しみと幸福の両方を越えた領域
マニーシャの「和尚との至高の瞬間」の本のいいところは、マニーシャの瞑想の実践が進むに連れて、彼女の瞑想の体験が深まり、それに応じて、Oshoの言葉への理解の深まりも私たちに示してくれるからです。 瞑想にはそれぞれの段階が…
幸せと瞑想の関係
人はどうして神を求めるのでしょうか? それはどうやら自分が不幸だからのようです。 自分のことを考えてみても、神様にお祈りしているときは幸せなときというよりも、不幸なときになんとかしてくれとお祈りしているときが多いようです…
瞑想は官能的?
瞑想というのは、その途上でさまざまな現象が起こりますし、それは人それぞれです。 禅でも、坐禅の修行にあたっては自分の師を求めるところから始まります。 それは禅病とか魔境とか、禅の修行の途上で起こるさまざまな現象に対して、…
マスターから弟子へのエネルギーの伝達
インドの伝統で、マスター(師)から弟子へのエネルギーの伝達のことをシャクティパットといいます。 ウィキペディアではシャクティパットは次のように紹介されています。 「シャクティーパット(シャクティパット,Shaktipat…
瞑想の歓び
瞑想というのは、最初はいろいろと努力を要するものです。 しかも、そもそもなぜ瞑想などをしなければならないのかもわからない。 坐るのは苦痛だし、足はしびれるし、頭は雑念でいっぱいになるし。 ふだんは考えてもいないようなこと…
幸せと不幸せの違い
Oshoはダルシャンという、訪問者や弟子と面会して質問に答えたり、サニヤスのイニシエーション(弟子になる儀式)をしたあと、エネルギーダルシャンをはじめます。 これはエネルギー的にOshoとともに在りたいと望む人は、ひとり…
悟ったらどうなるの?
前回、マニーシャが悟りを得るという体験について少し紹介しました。 悟りを得るというのは、仏陀の究極の体験でもあり、禅でもひたすら悟りを目指して只管打坐し、公案に取り組み、坐禅の修行に励みます。 瞑想をしている人たちやスピ…
マニーシャの悟りの体験
マニーシャは、あるとき、朝のOshoの講話を聞いているときに悟りの体験を得ます。 ひょっとして、瞑想していたり、Oshoの講話を聴いたり、読んでいたりしていて、そういう悟りを得てしまったようなときには参考になるかもしれな…
マニーシャの「Oshoバルド」のワークショップ
マニーシャは、もっとも長くOshoの身近にいた人の一人で、Oshoから直接瞑想の指導を受け、Oshoの講話を聴いているときに「悟り」の体験をしているひとです。 そのマニーシャが来日して、死を超えていくための瞑想のワークシ…