新刊
OSHO講話
自分を知り、探求するための本
クリスタル関連
その他/趣味
絶版中
Oauマガジン
最新投稿
新しい人類
OSHOのワークをひとことでいうならば、新しい人類を生み出すことだったと思います。それは彼の言葉で言えば、「ゾルバ・ザ・ブッダ」ということです。 この宇宙は生命を生み出し、この地球でその生命が進化して人間になったと言われ…
OSHOの三面記事の作り方
もとめる答えを得るためには、どのような質問をするかということはとても大切なことです。 すでにその質問のなかに、その答えが含まれているとも言えます。 OSHOからどのような答えを得るかは、だれがどのような質問をするかという…
クレタ島のOSHO
ワールドツアーの最初の地はギリシャのクレタ島でした。 OSHOは到着の翌日から講話を始めました。そこでの講話は「Socrates Poisoned Again After 25 Centuries」という本になって出版さ…
ワールドツアー
OSHOに残された時間はあと4年。タリウムの毒は着実にOSHOのからだを弱らせていきます。 そのうちの1年をOSHOはワールドツアーのなかで各地を転々として過ごすことになります。 結局ネパールでは3ヶ月のビザも切れる頃に…
OSHOの講話の危なさ
OSHOほど言論の自由を行使した人はいないでしょう。 かつまた、OSHOほど真実を話すことにおいて妥協をしなかった人もいません。 普通は何かを話すときに、そのことを話したらどうなるかということについて、気兼ねや打算という…
タリウムの毒
ネパールでのOSHOの居住先はオベロイホテルになりました。 インドを中心として数カ国で高級ホテルチェーンを展開しているオベロイホテルの総オーナーがOSHOを助けることに関心を示したのです。 OSHOは毎朝居間で講話をし、…
わが家とはなんでしょう?
「わが家とはなんでしょう?」という質問はOSHOとともにいて、身のまわりの世話をしているヴィヴェックからのものです。 それまで生涯をすごすわが家と思っていたアメリカのコミューンが突如としてなくなり、OSHOとともにそれま…
破れた夢からどのように抜け出すか
OSHOほど何ごとにもくじけない人はいないでしょう。 96台のロールスロイスを集め、アメリカのコミューンが成功寸前にまでいっていたのに、その翌日には逮捕され、拘置所を点々と引きずり回され、インドに戻っても居場所はなく、イ…
OSHOネパールに行く
OSHOはインドを出て、ネパールに行くことになりました。ワールドツアーの始まりです。 インドにいるOSHOにまでアメリカ政府は圧力をかけました。 インド政府もその方針に乗っ取り、OSHOの西洋人の弟子たちを国外追放し、外…
OSHOのワークへのアメリカ政府の圧力
OSHOがアメリカを出てからも、アメリカ政府のOSHOへの圧力は続きました。 各国に圧力をかけてOSHOを入国できないようにして、インド政府にも圧力をかけて、外国からのサニヤシンがOSHOに接触できないようにしたのです。…