OSHOと禅「草はひとりでに生える」

OSHOは晩年の数年間、禅についての講話のみを語った。

それまでの生涯にわたって、禅だけではなく、古今東西の仏典、聖典、禅録、タオ、ヨーガ、スーフィズム、タントラなどの経典を題材としながら、人間意識の発展の局面すべてについて語ってきていたOSHOが、なぜ最後には禅だけを語ったのだろうか?

彼ほどの人になれば、自分の死期については、ほぼ予想はしていたのではないかと思われるので、彼は禅を最後のメッセージとして選んだことになる。

そもそも、禅とは何だろう?

OSHOは次のように語る。

「禅とは、ひじょうに並はずれた成長をいう。その可能性の実現は稀にしかない。なぜなら、数多くの難関が伴うからだ。

過去にも何回かその可能性は存在した。それは、スピリチュアルな出来事のうち、あるものは成長して禅のようになり得たかもしれないということだが、しかし、全面的に実現するには至らなかった。

人間の意識の歴史の上で、禅のようなものが実現し得たのは、今までに一度しかない。本当に稀有なことだ」

OSHOはここで、禅とは人間の意識の歴史の上で実現した、本当に希有なことだ、としている。

そして、その禅は日本で花開いたが、その花は既に散ってしまった。しかし、日本はその種を生み出せないのでいるので、再びインドに帰ってこなければならない。

と語り、「草はひとりでに生える」という禅の講話をインドで語り始めたのは1978年のことだった。

「こうして禅の樹全体が日本に移植され、そこで花を咲かせた。何千の色合をもった花を咲かせた。
花は開いた !
これは、もう一度起こらなければならないことだ。

花は開いたのだから、それは、再びインドに帰ってこなければならない。それに、花は既に散っ てしまったのに、日本は種子を生み出せないでいる。

日本では種子は作れない。日本は内向する国ではない。だから、今ではあらゆることが外側だけの儀式になっている。禅は日本では死んでしまった。
 
過去、確かに花を咲かせることは咲かせた。 が、今ではそれは本で読むしかない。鈴木大拙やその他の人たちが書いた本をだ。

日本に禅を求めて行く者があるとしたら、空っぽの手で戻って来るしかない。今では禅はここイ ンドにある。日本からは禅は消えている。

あの国は、花を咲かせるのに役立ちはしたが、今では花たちは消え、土の上に散り落ちた。そこにはもう何も残っていない」

私は当時、禅に憧れて、禅の寺で坐禅などもしながら、禅に関連する本を手当り次第に読んでいたし、日本で5本指に入るお寺でも参禅し、師家の話も、専門の修行僧と一緒に聞いたりもした。

しかし、私が当時探した範囲では、これはと思える人には会うことができず、「この人だ!」と思ったのがOSHOだった。

それで当時アメリカにいたOSHOに会いにいって、彼に魅せられてしまったのだった。

だからOSHOがここで語っていることは、本当のことだと思える。

そして、当時、禅の本を多く読んでいたので、禅録についても目を通していたし、禅問答の逸話などは好きだった。

しかし、OSHOほどに明快にその禅問答の意味を簡潔な言葉で、明快に解いて解説している本には出会ったことがなかった。

聞くところによると、今では禅問答も回答集というようなものがあって、そのアンチョコで禅問答をしていることもあるらしい。

しかし、OSHOは禅問答については、実に明快にその意味を語ってくれている。

OSHOは語っている。

「だから私はあなたに、まず、禅とは何か理解してもらいたい。

というのも、その理解が なかったら、ここに出てくる禅の逸話は、大してあなたの役に立たないだろうから。

あなたは、禅の全体的な背景を知る必要がある。その背景のなかで、その脈絡のなかで、これら
逸話は光を放つ。そうなってあなたは、突然、これら逸話の意味と意義とを得られる」
    「草はひとりでに生える」より

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