「意識はたんに意識だ」って言われても、「それってあたりまえだろう」って思う人もいるでしょう。
「意識ってなんだ?」って思う人もいるでしょう。
意識の定義を調べてみると、 「自分が現在何をやっているか、今はどんな状況なのかなどが自分でわかる、心の働き。
「―にのぼる」「マスコミを―した発言」「―不明」。また、その働きで自分にわからせること。」
「意識 consciousness 広義には,われわれの経験または心理的現象の総体をさし,狭義には,これらの経験中特に気づかれる内容を意味する。また,それら多様な経験内容を統一する作用を意味することもあり,きわめて多義的である。」
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 より
意識という言葉は、それを使う人の意識の状態や文脈によって、様々な使い方がされるので、なかなか定義はできません。
しかし仏陀や悟りを得た人たちの言葉を読むと、私たちは無意識の中をさ迷っていて、目覚めていない意識の状態だというふうに語られています。
要するに意識が目覚めていないから、いろんなことに迷い、悩み、苦しんでいるというのです。
では、意識って、本当のところなんなのでしょうか?
瞑想はあなたの実存のまさに
本質的な核心に関わりがある
その核心は男性面と女性面に
分割できるものではない
意識はたんに意識だ 一
鏡は鏡だ―
男性でも女性でもない
それはただ映し出す
意識は、まさに映し出す鏡のようなものだ
そして瞑想とは、
あなたの鏡が映し出すのを許すことだ
動いているマインドー
動いている肉体―
それらを鏡が
ありのままに映し出すのを許すことだ
肉体が男性であるか女性であるかは問題ではない
感情的または論理的一
マインドがどのように機能するかは問題ではない
どのような場合でも 意識はただそれに
気づいていなければならない
その気づき、その覚醒が瞑想だ
「ゴールド•ナゲッツ」 by Osho
この一文は瞑想の本質を語っています。
Oshoの言葉は瞑想のヒントとして語られているというふうに私は思っていますが、Oshoの言葉そのものが瞑想になります。
いきなり坐禅をしても、「マインドはたんにマインドだ」っていうぐらいになるのが関の山だったりしますが、でもそれでも坐り続けていると、そういう瞬間が訪れたりもします。
ダイナミック瞑想の後なんかも、そういうことに気づくときもあります。
他にも、非常に危機的瞬間なんかは自然にそういう目覚めた意識状態になったりします。
意識的であり、意識が鏡のようになるのは、要するにマインドが働いていられないような瞬間です。
そのような意識の状態の時、普段はマインドで曇って見えなくなっている意識が、意識は意識として現れ、まさにすべてを映し出す鏡となるのです。
マインドがなくなったときに、意識は鏡として機能することがわかります。
なにかそういう意識が意識になった瞬間とかありませんか?
「あぁ、意識ってこういうことか」っていうようなことに思い当たったりしたことはないでしょうか?
瞑想って特別なことだっていう思い込みがあるとなかなか気づけなかったりするのですが、わりと瞑想って日常生活の中でもそこにあったりするものなのです。
そういう意識に気づくことができれば、それが瞑想です。
今日はこれまでにします。
えたに