油断なさ 気づき マインドフルネス
Alertness Awareness Mindfulness これはアメリカでのインタビューシリーズのひとつです。
質問
「このコミューンで働いている人たちに聞かされたのですが、たとえばブルドーザーを運転することが彼らの瞑想だというのです。そうなんですか?」
Osho
「あなたは私の言う瞑想の意味を
理解しなければならない
瞑想とは 油断なさ 気づき
マインドフルネスだ
だからあなたが何をしていようと
ただそれを意識的にしてごらん
機械的にしてはいけない
私は手を機械的に
動かすこともできるし
とても意識的に動かすこともできる
まったく油断なく
そうすると
そこには質的な違いがある
手を意識して動かすと
そこには優雅さがある
機械のように動かせば
そこには優雅さも 美もない
あなたがどんな仕事を
していようともだ」
「瞑想は呼吸のようなものであるべきだ
休暇には出かけられない
眠っているときでさえ
呼吸は続けなくてはならない
だから何をしているにせよ
ただ呼吸をしているだけかもしれないが
意識的に 息を吸い込んでごらん
そして息が入ってきたら
油断なくしていなさい
息が出て行き始めたら
油断なくしていなさい
そうするとあなたは瞑想している
歩いているとき
意識的に歩いてごらん
そうするとあなたは瞑想している
私の瞑想は
生から切り離されたものではない
それは生全般にあまねく広がるべきものだ
あなたの生全体が
それによって彩られるべきだ
だから何をするにせよ
愛を交わすにせよ
そこに 瞑想は残る
愛を交わしているときでさえ
瞑想を落とすことはできない
それはメガネのようなものではないのだ
取り外すことはできない
それは目のようなものだ
いつもそこにある
とったりつけたりなどできない
私の瞑想は
あなたが何をしているのであれ
気づいているという手法だ
考えていること
感じていることにも
この3つの層すべてに
あなたは気づいていなければならない
あなたが眠りにつくときでさえ
ベッドの上に座るときにも
気づきを持って座り
気づきを持って横たわる
油断なく見守りながら
眠りを待つ
眠りがやってくるとき
どのようにやってくるのか
どれほどゆっくりと
眠りがあなたに降りてくるのか
どのようにあなたの体が
くつろぎはじめるのか
どこに緊張があるのか
そしてその緊張がとけていく
そのときは 必ずやってくる
身体は眠りにつくが
あなたの瞑想は引き続きそこにあり
あなたの内側で炎のように燃え盛り
完全に気づいている日が
これが 私の言う
あなたの瞑想が完結するときだ
そうなると
眠っているときでさえ
あなたは瞑想できる
だから
あなたが目覚めているときには
瞑想できることには
疑問の余地はない
まったく問題はない
そして眠っているときに
瞑想できる人は
死に赴くときにも瞑想できる
なぜなら その過程は同じだからだ
眠るときに ゆっくりゆっくり
自分の内側に入っていくのと同じだ
身体は遥か彼方に
くつろいで残され
マインドはゆっくりになって
思考は消え続ける
まったく同じことが
死の際にも起こる
瞑想を知るものは
決して死ぬことはない
彼は 生き生きと目覚めたままだ
死は起きているが 彼はそこにいる」
気づいているということはどういうことか?
そのことを実際にOshoは見せてくれています。
「機械的にしてはいけない
私は手を機械的に動かすこともできるし
とても意識的に動かすこともできる
まったく油断なく」
その動作を見ることで、意識的に手を動かすことと、無意識に手を動かすこととの違いを見ることができます。
そしてまた、どうしてOshoの動作ひとつひとつが、あのように美しく、優雅であるのかということの秘密もわかります。
このビデオには日本語の字幕が入っています。 日本語の字幕が表示されないときは、画面の下の歯車のマーク「設定」をクリックして「字幕」の言語を「日本語」に選択してください。 Oshoはこの講話の中で、死のプロセスに至る瞑想を語っています。 あたかも、自分自身がまさに死の体験をすでにしたかのように。
今日はここまでにします。
えたに