生き、そして愛するがいい
しかも全一に、
強烈に愛するがいいーー
だが、けっして自由に
敵対してはならない
自由は究極の価値として
残されるべきだ
「ゴールド・ナゲッツ」 by Osho
トータル(全一)に生き、愛する、というのがOsho の基本的なメッセージであり、そのための実験場がインドのプーナにあるOshoコミューンでした。
今は随分雰囲気も変わって瞑想リゾートになっていますが、Oshoがいた当時は、世界中から多くの人が集まり、混沌とした活気がありました。
そこでは何をするのも自由が許されている場所でした。
生き生きとした活気に満ち、生き、そして愛することが自由な場でもありました。
ここでOshoは
強烈に愛するがいいーー
だが、けっして自由に敵対してはならない
と語っています。
強烈に愛することと、自由とは敵対するのでしょうか?
例えば、強烈に愛した人が、他の人を好きになった場合にはどうすればいいのでしょうか?
強烈に愛すると、その人を自分のものだけにしておきたく思うのが人情です。
そのとき「自由」が優先します。
強烈に愛するあまり、相手の自由を制限することがあってはならないわけです。
自由を制限することは愛を制限し、殺してしまうことにもなるからです。
そういう自由があってこと、強烈に愛することも可能になり、生きることが全一になります。
私たちは自由を求めていますが、その自由の中に生きるということは、トータルに生きることが要請されます。
社会の中では様々な規律や法律やいわゆる道徳などがあり、自由は規制された社会の中に生きなければなりません。
そこで自由であろうとすれば、さまざまな軋轢が生じるでしょう。
それが現代の社会です。
規制に守られて生きるということは、ある意味楽な生き方ですが、それは自由を代償にしているということでもあるのでしょう。
規制に守られて生きるのか、自由に生きるのかというのは、人生の一つの選択肢でもあるでしょう。