覚醒のメカニズム

Oshoの言葉

思考のメカニズムは頭のなかにあり、
覚醒のメカニズムはハートにある。

ハートはいつも目覚めている。

あなたがハートから何かをするとき、
いつもそこに美しさが、
超越的な美しさ、
優美さがあるのはそのためだ。

それには聖なるものの何かがある。
その仕草のなかに神が顕れている。
            Osho

この言葉を読む時、いつもOshoの仕草を思い浮かべます。

その美しさ、超越的な美しさ、優美さを。

そしてそこにある聖なるものの何かを。

Oshoの言葉の美しさは、そのすべてをOshoに中に見ることができることです。

つまり、Oshoの言葉には嘘がないのです。

Oshoの言葉が真実であるのは、そのことからもわかります。

Oshoの言葉は、彼自身が自分の中で検証されている言葉なのです。

そのうえで、Oshoは言うのです。

「私の言葉を信じないように。
 自分で検証しなさい」と

このOshoの言葉も、各自が各々、
自分で検証すべき言葉なのです。

思考のメカニズムは頭のなかにあり

というのは、ほとんどの人が検証できるでしょう。

覚醒のメカニズムはハートにある

という言葉はどうでしょうか?

覚醒のメカニズム」ということで、

Oshoは何を言っているのでしょうか?

それは人それぞれのハートの経験によります。

その自分のハートの経験によって、ハートの「覚醒のメカニズム」を知ることができますが、

それは自分のハートの経験がどれぐらい深まっているかによります。

意識に7つの層があるように、
あるいは、沈黙に7つの層があるように、

ハートの体験の深さにもさまざまな深みがあります。

そしてOshoはさらに言います。

ハートはいつも目覚めている

自分がハートを経験した時、
そのハートは目覚めているだろうか?

多くの人は、かつての私のように、
「ハート」ということがそもそもわかりません。

人と話していて、「ハート」という言葉そのものが通じないのに、驚いたことがあります。

私たちはマインドの中に生きているので、
ハートと言われても、
それって何?
って思われてしまうようです。

まぁ、かつての自分もそうだったのですから、
人のことは言えません。

では、そのハートのことがわかったとして、

つまり、思考(マインド)とは別に、
ハートという存在がある、ということは
認識できたとして、

でも、Oshoがここで語っている「ハート」
を自分の体験として検証できるだろうか?

ということを考えた時、

まだまだ、ハートには探求すべきことが多くあることに気づかされるのです。

 

今日はここまでとします。

えたに