今、ここを生きる

Oshoの言葉はシンプルですが、シンプルなだけに、同じ言葉でも、奥行きがあります。

言葉はシンプルなので、誰もがわかったつもりになりますが、その人が体験しているだけの理解しかできません。

あるいは、シンプルなだけに、Oshoの言葉を頭で理解しようとしてもわかりません。

しばしば不思議に思うのですが、

Oshoの本を読んだ人たちに二つのタイプがあります。

とてもよくわかる、と言う人たちとOshoの本を読んでもわからない、と言う人たちです。

前者の「わかる」という人には二つのタイプがあります。

頭でわかったつもりになる人と、Oshoに恋に落ちてしまう人。

後者の恋に落ちてしまう人には二つのタイプがあります。

Oshoにとても惹かれるけれども、本を読むことで満足する人たちと、Oshoに飛び込んでしまう人(簡単にいえば弟子になってしまう人)。

後者の飛び込む人にも二つのタイプがあります。。。

これ、分類しても意味がないので、
ここらあたりでやめますが、

要するに何を言いたかったかと言うと、

Oshoの言葉はシンプルですが、

シンプルなだけに、その言葉をどのレベルで理解するかについてはさまざまなレベルがあるということです。

マインドのレベルで理解することもできるし、ハートのレベルで理解することできるし、存在のレベルで理解することもできます。

それはその人が、どれだけ自分の体験を深めているかによります。

 

Oshoの言葉。

今、ここを生きる

もしあなたがこの瞬間を
生きることができれば

今この瞬間にここに
いることができれば

そうすれば、すべては
それ自身の面倒を見る

        Osho

If you can live this moment,
if you can be here this moment,
then everything takes care of itself.
            Osho

「ビー・ヒヤ・ナウ」というラムダスという人の本のタイトルを思い出します。

今ここを生きることができて、
今この瞬間、ここにいる
ことができれば、

存在はあなたの面倒を見る。

日本では、このことを表す言葉に、運を天にまかす、という言い方があります。

あるいは、人事を尽くして、天命を待つ、という言い方のほうが近いかもしれません。

自分のやるべきことを全身全霊で尽くしたあとはつまり、トータル,やるべきことをしたあとは、

その結果はどうあれ、存在を信頼して、存在にお任せする、

という境地かな、と思います。

存在はあなたを愛しているのだから、存在があなたの面倒をみてくれないわけがありません。

そのように存在を信頼することができれば、

今この瞬間を生きることがもっと楽しく、喜びに満ちたものになっていきます。

心配事は、全部存在にお任せして仕舞えばいいのですから。

とはいえ、マインドはなかなかそうは思えないものですけどね。

そうは言ってももやっぱり将来のことは心配で、自分のことは自分で面倒みなければと思います。

そのときは、将来のことを心配していて、今ここを生きていないことになります。

今日はここまでにします。

えたに