かゆみと思考と感情と その2

かゆみについてOshoが語ったのは、以下のような、意外な質問がきっかけでした。

「Osho,
自分の思考や感情を観察していると、
不思議さに満たされる感覚に襲われます。
それらはどこから来て、
どこへ行くのでしょうか。」

今回は、かゆみシリーズ、2回目です。

Oshoの言葉

かゆみについて その2

イエスは何度も何度も言っている。
「子供のような者だけが、
私の神の王国に入ることが
できるのです」 と。

どういう意味だろう?
「子供のような人」とということで、
イエスは何を言っているのか。

彼は不思議に満たされた感覚
のことを言っている。

子供たちは未知への感嘆のこころを
持ったままでいる。

この「〜のままでいる」
という言葉を覚えておきなさい。

彼らは一つの感嘆から
別の感嘆へと移動する。

しかし、彼らは未知への感嘆の
こころを持ったままだ。

あなたのマインドはすぐに
感嘆のこころを歪曲してしまう。

一瞬の断片的な時間、あなたは
未知への感嘆の状態にあった。

しかし次の瞬間には思考が入り込み
あなたは考え始めてしまった。
「これらの思考は
どこから来るのだろう?

どこに行くのだろう?” と。
もはや、未知への感嘆の感覚は
なくなっている。

           Osho

Oshoがここで語っているのは、センス・オブ・ワンダーについてです。

マインドに入るのではなく、未知への感嘆のこころsense of wonder のままでいなさい、と

それはイエスが言った、子供のようなこころ、「未知なる神秘に目をみはる感性」のことを意味しています。

レイチェル・カールソンの「センス・オブ・ワンダー」という本を読むと、その感性のことがよくわかります。

なにか、そういう子供の心を取り戻すことが「センス・オブ・ワンダー」の瞑想になります。

Oshoの「ボーンアガイン」という瞑想がありますが、

それはまさに、そういうsense of wonder を再び取り戻すための瞑想でした。

今日はここまでにします。

えたに