Oshoの言葉
ハラと死 その4
だが、その第2センターに入り、
それを貫通し、
それを開かれなければならない。
それこそが、イエスが
「死ぬ覚悟がないかぎり、
生まれ変わることはできない」
と言った意味だ。
つい二、三日前のイースターのとき、
誰かが
「今日はイースターですが、
何か言いたいことはありますか?」
と質問した。
言いたいことは一つだけ、
毎日がイースターだということだ。
なぜなら、イースターは
イエスの復活の日だからだ。
イエスの十字架と復活の日、
イエスの死と再誕生の日だ。
もしあなたにハラ・センターに入る
覚悟があるなら、
毎日がイースターだ。
あなたはまず十字架に架けられる。
十字架はあなたの
ハラ・センターの中にある。
あなたはすでにそれを持ち運んでいる。
あなたはただそこに入って、
それを通して
死ななければならないだけだ。
そうすれば、そこに復活がある。
Osho
だが、その第2センターに入り、
それを貫通し、
それを開かれなければならない。
死というのは、肉体の死だけではない、ということがここでは語られています。
私たちにはハラセンターがある限り、そのセンターは避けては通れない、ということです。
あなたはすでにそれを持ち運んでいる。
あなたはただそこに入って、
それを通して
死ななければならないだけだ。
そうすれば、そこに復活がある。
禅で重視しているのは、ハラのセンターです。
日本の武道も禅も、丹田を中心にしています。
武士の心得を述べた「葉隠」の一節に
「武士道というは死ぬことと見つけたり」という言葉があります。
また、私の好きな禅の言葉に、
生きながら、死人となりて成り果てて思いのままにすることぞよき
という至道無難の句があります。
そこに「死」という言葉が出てくるのは、
まさに、ハラを中心とした文化だから
というふうにも言えそうです。
一度死ねば、そこに復活がある、
という考えは日本語で言えば、「大死一番」という言葉があります。
禅の語録、碧眼録にある言葉ですが、
「おのれを捨て、欲を去り、迷いを断って、仏の道に精進する」
という意味があります。
イエスが
「死ぬ覚悟がないかぎり、
生まれ変わることはできない」
と言った意味だ。
とOshoは語っていますが、大死一番の精神は仏教だけではなく、
キリスト教も同じ、ということですね。
今日はここまでとします。
えたに