「存在とハート」シリーズ(1)

「存在」のシリーズ パート2

前回までの「存在について」のシリーズでは、

「Oshoの言う『存在(Being)』という観念が解った様でやっぱり解らない」

という質問に対するOshoの言葉を見てきましたが、
そこでは、「存在」については頭では理解することができない。

ハートなら、少し理解できるので、まず、ハートから説明する必要がある、ということでした。

そこで、今回の「存在とハート」のシリーズでは、
「マインド」「ハート」「存在」の関係について

もう少し詳しくOshoに語ってもらいましょう。

前回までとは別の講話からの抜粋です。

Oshoの言葉

「存在とハート」シリーズ(1)

英語のgreedは、ハゲタカのgiddha
と同じ語源に由来する。

ハゲタカは、考えうる限り
最も醜い鳥の一つだ。

そして、強欲は確かに、
あなたが考えることができる

人間の最も醜いものの一つだ。

マインドはハゲタカのようなものだ。
何ごとにも満足することはない。

あなたが与え続けても、
マインドは奪い続け、

さらにもっと求め続ける。

感謝の気持ちを持つこともなく、
いつも「足りない」
と文句を言っている。

マインドにとっては、
何ひとつ十分ではない。

意味のあること、意味のないこと、
関連性のあること、
関連性のないことなど、

次から次へと質問が出てくるーー

そして、あなたのマインドには、
どんな答えも入るような、
ほんの小さな隙間さえない。

マインドは質問で
あまりにもいっぱいになっている。

ハートは質問を知らない。

そして、これは
人生のミステリーのひとつだが、

マインドは
一生にわたって問い続けるが、

けっしてどんな答えを
受け取ることもない。

しかし、
ひとつ忘れてはならないことがある。

マインドは騒がしい、
気が狂いそうなほどの騒音がある。

ハートは答えを
受け取っているかもしれないが、

マインドの騒がしさのために、
あなたは、その答えが
受け取られたこと、

自分がそれをもち運んでいること、
自分がそれをはらんでいることを
感じることができないで
いるかもしれないのだ。

          Osho

ここでOshoはマインドの性質とハートの性質について話してくれています。

それぞれの性質について知ることが、私たちが、存在を知るためには必要になってくるからです。

ハートは答えを
受け取っているかもしれないが、

マインドの騒がしさのために、
あなたは、その答えが
受け取られたこと、

自分がそれをもち運んでいること、
自分がそれをはらんでいることを
>感じることができないで
いるかもしれないのだ。

これが私たちがハートを知るのが難しくなっている原因のひとつでもあるのです。

あまりにもマインドがうるさすぎて、
ハートが感じていることを、
感じられなくなっているのです。

ハート?
ハートってどこかわからない?

って思った人は、
まずこのことを知る必要があります。

ハートはすでに答えを受け取り、
それを持ち運び、
それをはらんでいるかもしれないのに、

マインドのノイズがあまりにもうるさすぎて、

そのことに気づかないでいるだけかもしれないのです。

今日はここまでにします。

えたに