「家族に対する責任」シリーズ(8)
Oshoの言葉:
今回は、同じ質問に対するOshoの言葉ですが、
「愛の責任とはなんでしょうか?」
というこのGyan Ragaという質問者の質問と、
それに答えた時の、最初の言葉です。
「最愛なるOsho
愛の責任とはなんでしょうか?」
Gyan Raga、
マインドは質問を作り出す
それらはとても重要で
合理的に見えるかもしれないが
それは経験に反している
実存に反している
そして全世界がマインドを通してのみ
互いのコミュケーションをしているので
誰もそのような質問に対して、
それらは基本的に間違っているのだと、
声を上げることはない
例えば、この質問は根本的に間違っている
それは完全な誤解からきている
愛は、責任を知らない
なぜなら愛そのものが責任だからだ
愛と責任を切り離すことは
単に馬鹿げている
しかし世の中の道徳体系は
それを分離している
彼らの責任についての考えは、
存在に対応するものではなく、
彼らの論理に対応しているにすぎない
Osho
この質問に対して、Oshoは非常に深い回答をしています。
そもそも愛とは何かということを、
Osho自身の実存的なレベル、
彼自身の体験から答えています。
Oshoの言葉はいつも実存レベル、
自らの体験からの言葉なのです。
このOshoの回答を聞くことで、
「存在」のレベルと「論理」(マインド)のレベルとの違いを
明確に知ることができます。
彼らの責任についての考えは、
存在に対応するものではなく、
彼らの論理に対応しているにすぎない
私たちが、いかに「論理」(マインド)から生きているのか
ということを思い知らされる講話です。
Oshoに言わせれば、
責任とは、人間社会が作り出した論理、
両親とか国家とか宗教組織とかが作り出した
論理によって作り出したものだ、
ということになります。
そもそも、愛と責任は分離できるものではなく、
そこに本当の愛があれば、
責任とか義務というものを作り出す必要はない、
ということを語っているだけです。
なので、
「愛の責任とはなんでしょうか?」
という質問に対しては、
愛とは何かということを知っていれば、
その質問そのものが
ナンセンスな問いだということになります。
今日はここまでにします。
えたに