かゆみについてOshoが語ったのは、
以下のような、Oshoへの質問がきっかけでした。
「Osho,
自分の思考や感情を観察していると、
不思議さに満たされる感覚に襲われます。
それらはどこから来て、
どこへ行くのでしょうか。」
今回は、かゆみシリーズ、4回目です。
実際、ワンダーを感じる人間を
見つけることは、
今やほとんど不可能だ。
自分が不思議に思っているつもりでも
おそらくは、
自分が不思議に思っていると
考えているだけのことだ。
不思議について考えている
可能性の方が大きい。
センス・オブ・ワンダーは、
まったく別の次元のものだ。
それはまったく異なる質を持っている。
センス・オブ・ワンダーは、
不思議に思う眼差しでいることだ。
不思議に思うハートで、
何の疑問も生じないでいることだ。
花はそこにあり、蝶はそこにあり、
木はそこにある。
雲は動き、世界全体が素晴らしい。
ただ、あなただけが
センス・オブ・ワンダーを失ってしまった。
ただ、完全に静かな目で見る。
マインドの中に何の疑問も抱かずに。
それは、あなたが何の答えも
求めていないことを意味する。
もし、答えを求めているのなら
あなたは何をしているのだ?ーー
センス・オブ・ワンダーを
殺そうとしているのだ。
あなたはワンダーとともにいて
くつろいでいない。
そして、あなたが知りたいのは、
その質問の意味なのだ。
Osho
自分が不思議に
思っているつもりでも
おそらくは、自分が不思議に
思っていると考えているだけのことだ。
不思議について考えている
可能性の方が大きい。
この指摘は、鋭いというか、なんというか、まさにそうだなぁって思ってしまいます。
そういうところに気づけるかどうかというのが、日頃の瞑想で試されるところです。
私たちはたいてい、
瞑想しているつもりで、実は、瞑想について考えている可能性の方が大きい、
ということに気づかされます。
Oshoは痛いところをついてきます。
センス・オブ・ワンダーは、
まったく別の次元のものだ。
それはまったく異なる質を持っている。
センス・オブ・ワンダーは、
不思議に思う眼差しでいることだ。
不思議に思うハートで、
何の疑問も生じないでいることだ。
これはまさにハート瞑想のことについて語られています。
マインドからハートへ、というのは、まさにこのことです。
センス・オブ・ワンダーこそがハートの質で、マインドからハートに入った時、
不思議に思うハートで、
何の疑問も生じないでいることだ。
ということなのです。
花はそこにあり、蝶はそこにあり、
木はそこにある。
雲は動き、世界全体が素晴らしい。
花は紅、柳は緑
古池や、かわず飛び込む水の音。
人生は問うべき問題ではなく、生きられるべき神秘だ
という神秘の世界がセンス・オブ・ワンダーの目から見た世界だ、ということです。
ただ、あなただけが
センス・オブ・ワンダーを失ってしまった。
ただ、完全に静かな目で見る。
マインドの中に何の疑問も抱かずに。
それは、あなたが何の答えも
求めていないことを意味する。
Oshoが見ている世界がここにあります。
世界はワンダーで満ちているのに、
それを感じる目(センス)を失ってしまったら、
その世界を見ることができなくなってしまいます。
そのセンス・オブ・ワンダーを取り戻すことが瞑想でしていることです。
自分がいかにマインドの中にいて、本当の世界を見ていないのかということを思い知らされます。
今日はここまでにします。
えたに